台湾ノート 1

「......客家(ハッカ)語で会話をすれば、人の分からない言葉でしゃべるな! と文句をつける。それで北京語で福佬(ホーロー)人の友人に話しかけたら、なんで北京語なんかつかうのだ。台湾語をつかえ、台湾語でしゃべれとどなられた。」
戴國煇のエピソードのなかに、「客家語」と「北京語」と「台湾語」の、いずれのことばをつかっても話にならないというのがあって、台湾と台湾人のアイデンティティが、気になりました。
客家(ハッカ)」というのは、漢民族の一属のことで、さらに、客家に先ずるが同じく南下した漢民族の一属を、「福佬(ホーロー)」というのだそうです。
「北京語」は、いうをまちません。
で、どなられたほうのいいぶんは、
客家語は、台湾語ではないのか、それに、高山族のことばは、どうしてくれる。」
というもので、なるほど、「高山族(高砂族。中国人は高山族もしくは山地同胞と呼んでいる)」こそが、ネーティブ•タイワンニーズのはずで、客家人だけれど客家語がしゃべれないひともいれば、福佬人だけれど客家化しているひともいて、「台湾語」をめぐるひとたちの複雑さを、戴國煇の「台湾と台湾人」を読み進めるほどに感じ、ノート(考察)しようと思ったしだいです。
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「台湾は皆さんご存知のように一八九五年以降五十年間、日本の植民地支配を受けます。中国大陸はその後いろいろの曲折があって、結局一九四五年まで日中戦争という大きなワクの中に置かれていた。」
その一九四五年八月十五日を境に、それ以前から台湾に住んでいた漢族系台湾人を、「本省人」といい、それ以後に中国大陸から移住してきた大陸諸省の人を、「外省人」というのだそうです。
本書「台湾と台湾人」が書かれた四十年前には、
本省人とか外省人の用語を台湾での習慣のまま持ち込んでつか」いとあるので、台湾人という用語法が「本省人」に取って代わってきたような感じさえあります。
また、その「本省人」を英訳する場合、「タイワンニーズ」とする、とあって、「客家語」も「福佬語」も、ましてや、「高山族のことば(ネーティブ)」さえも、つまるところは、日本の植民地時代にもたらされた、日本人の「教育」によって一掃され、「台湾の文盲率を低める契機となり、普通教育の普及につながった」、というそれも、言語を奪われた民衆からすれば、悲劇以外の何ものでもないでしょう。
七十歳以前のひとたちにとっての「台湾語」とは、日本人によってもたらされたアメ玉であって、「台湾人の先達が」その「アメを、最初はいやいやながら、のちには喜んでしゃぶった罪業の結果」であるのでしょうか。
「日本人の全般に台湾認識を、ひいてはアジア認識をも誤らせ、原子爆弾をくらうような結果をもたらした、逆のアメを日本人に五十年間の長きにわたってしゃぶらせたといえなくもない。なんと罪深いことよ。」
と戴國煇は、本書「台湾と台湾人」のなかで、なげいています。
台湾と台湾人のアイデンティティの一つともいえる、「言語」の変遷について、このたびは、ノート(考察)してみました。
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*画像は、鄭寛さんより、ご提供いただきました。