「猫は、自分のしもべと認識することと思います。猫という生き物は結構図々しくって、それがとてもいい感じです。」(2010年8月10日、日記、コメントより)
先月、中止となった関西行。
関西を同行する予定だった友達から、LINEがあり、タイミング良くオフ日だったその日は、だから、友達との会いが、関西から関東へと、後ろ倒しになった具合。
友達が自由になる頃合いをみて、神田・学資会館の紅楼夢(中国料理)で、遅めのランチ。
折しも、その間、不調だった愚猫(愛猫)のことを、食事のあとのデザートをいただきながら話したのは、冒頭の「コメント」を友達からもらった、それの経緯によるけれど、愚猫(愛猫)と出逢った日のことを書いた日記(ミクシィ w)から、15年の月日が流れていたことを、これも、その間の付き合いとなる友達を前に、しみじみ、思ったものです。
「いつか、猫の介護について話してたでしょ? 土曜の夜に様子がおかしくなったうちの子を、日曜の朝、近所の獣医に診せたら、神経痛といわれて、いよいよ、お年寄り認定か! と、「介護について」自覚させられたよね」
と話したあとで、
「猫もわかってるから」
との友達のそれに、採尿の間(モニターを頼りに、膀胱から注射器で採取)も、両腕を上げられ、私の掌と顎にホールドされたそこから、鳴き声の一つも立てずに、じっとしていた愚猫(愛猫)の思慮を、思ったものでしたが、
「まあ、薬だよね。結局、生すも殺すも「薬」しだい。地獄の沙汰もカネ、、、ってやつね。ハハハ」
などとの愚答を、この「介護」の先輩に話しながらも、夜まで自由時間の友達を、神田とは目と鼻の先の銀座に案内し、無印良品→鳩居堂→カフェーパウリスタ→伊東屋と、卑近の場所にありながら、そうした、ウィンドウショッピングが、非日常のことと思えたのは、インバウンド需要に沸く、かの地であることのほかに、友達の個性的な人柄のゆえでもあるのでしょう。
「女給(とはいってない、たぶん)に聞こえよがしに、そういうこと話すの好きなんだよね。イヒヒ」
「ホモネタか」
と私。
「ディナも一緒する?」
地元駅近くから夜行バスに乗って(引率ゆえ、大人げない交通手段 w)帰る友達を、みんな大好き「サイゼリヤ」に誘うと、グラスワインで、乾杯。
さらに、饒舌となった、友達から聞いたそれが、個人的には、ツボでした。
「語録とは、そうした公共からの「個人的」な関心事を採集し、後世に伝えるものじゃなかったか。といって、平均年齢75歳の腐女子たちのそれ。いつか、「大婆村(ダイバーシティ)語録」としての刊行を乞う。」
と思ったものですが、我々も大差はないでしょう。
何せ、愚猫(愛猫)を、ケージにいれ、近所の獣医に連れて行った、日曜(朝)・月曜(夕)以降、つまり、友達と会った翌日から、背中に覚えた違和感(痛みというほどではないが)を、やめればいいのに検索すると、
「肋間神経痛?」
いまは、すっかり、治まってはいるものの、私にも来た、「お年寄り認定か!」
といったところです。