先の記事、「老齢」に引き続き、「老朽」です。
数えで15歳になる愚猫(愛猫)が、獣医の診断により、晴れて「お年寄り認定」を受けたことは、先の記事の通りですが、これも、とき同じくしてあった、不動産からの電話に出ると、こんどの更新に際し、
「建物老朽化につき、取り壊し前提で、契約する旨」
促されました。
二年ごとの更新を繰り返し、転居十年目にして言い渡されたことながら、卑近の「老」が重なり、これも、我が身の上に照らすと、何とも、複雑な心境ですが、猫も住も、「朽」ちるまでには、まだ、その猶予もあるでしょう。
とはいえ、オーナの土地であれば(土地買収の金利に追われることもない)、「老朽化」などと衒(てら)わず、取り壊しのうえ、新築したほうが、都心(の一等地)の地価が高騰している昨今、その利幅も大きいというものです。
などと他人事でいられるのは、土地に縛られることのない、貸借人の利点でしょう。
そんな最中(と安易に)に目にした、
「ラシントンパレス(ハッテン場 w)物語」(そこ!?)
雑誌『薔薇族』(復刊第1号)に掲載された記事の時点(2005年)で、この建物の築年数は、45年であり、
「ああ、やっぱ、そんなもんか」
と、「我が身の上に照ら」し同感したものです。
(記事の内容に触れないんだ!?)
不動産から届いた、「契約更新書類」には、「築40年」とあるけれど、始めに契約した別の不動産のそれには、「昭和49年竣工」とあったから、まあ、10年の誤差とて、建物レベルでいえば、許容なのだろう…か?
「いやいや、直下型のデカいやつが、一回でも来れば…」
などとの疑問も残りますが、どうでしょう。
それはともかく、「『薔薇族』(復刊第1号)」です。
1971年の創刊から、ちょうど一年になる、それの「九月号」(通巻7号)を手にして思ったことといえば、充実した「記事」の内容であり、そこから、十年を閲(けみ)した100号に至っても、巻末に掲載されている広告ページの厚さは、全体の1/5にも満たず、この時点においても、「記事」の内容の充実をはかることが出来るでしょう。
しかし、必要あって取り寄せた、30年前の『薔薇族』となると、「広告ページ」が半分弱で、そこから、十年を閲(けみ)した「復刊第1号」(2005年)に至っては、全体の1/10にも満たない厚さであり、40、50年前のそれらとは、おのずとその事情も変わってきます。
そうした、『薔薇族』を断面から見ると、この雑誌の栄枯盛衰を、如実に知ることが出来(我ながら目線が斜めですが)、いつか、パートナーにいわれた、
「この建物大丈夫?」
とのそれは、まさに、「築50年」の建物の断面を見たことへの、率直な感想なのでしょう。
巨視とはまた、近視眼的なひとたちに浴びせる、冷水の謂いであるのかもしれません。