ことしは、23日が秋分で、暑さ寒さも彼岸まで、のそれ通りに、翌日は、一気に気温が下がりました。
当初、24日の入稿を予定していたので、デレツンとばかりに、行く夏来る秋に、気が気ではなく、結果、一週間引き延ばしたとなった、その週のうちにも、来る秋は、戻る夏に。
つまり、一寒六温と繰り返しているうちにも、月末には入稿の事なきを得ました。
そんな週の始まりから一週間は、「菫太郎センセイの論集」の入稿→その間半年手つかずにいた作品集成 III の出力(妖精さんがやってくれていた!)→それの参考文献書き出し→旧資料と新資料のいれかえ→作品集成 VI のための資料読み→
そして、土曜の前日は、翌日に予定している友人のお誕生会の準備で、銀座にプレゼントを買いに行きました。
といって、場当たり的にそれしたわけではなく、あらかじめネットで買ったプレゼントが、先方(楽天)の都合でキャンセルとなり、頼むところが、リアル・ショッピングといった、効率の悪さなのです。
要するに、いまや、実店舗は、旗艦店でしかなく、売上のほとんどは、そうしたネット・ショッピングによって、確保されているのでしょうから。
さて、銀座の朝は遅い。
「在庫を確認してまいりますので、しばらく、お待ちください」
と開店早々、ショップのスタッフに、「あらかじめネットで買ったそれが、先方(楽天)の都合でキャンセル」となった旨を話して、待つこと数分。
「申しわけございません。ただいま、品切れでございます」
「……わかりました。ありがとうございます」
と作り笑顔で返すも、内心は、がっかり。
「それやなきゃ、プレゼントする意味ないねん! しゃーない、プレゼントするのやめやめ!」
などとひとりごちていた「内心の声」が聞こえたものか、
「お客さ〜まあ!」
と背後の呼びかけに気づく頃には、ふたたび、売り場に連れ戻されていました。
「俺に何か送りました?」
「へ? 何のこと?」
としらばくれるも、知っていた友人のそれに、
「斯々然々。まあ、買えたんだけど、そんなドラマがあってねえ」
と私。
「何が届くんです? でも、日曜は、不在にしてますよ」
と友人(後輩)。
「ほんと不粋! そういうサービスもだが、何か送りました? とかいっちゃうオマエもだよ!」
と、お誕生会の前にはいったカフェで、友人を叱ったとか叱らなかったとか。
「そういうサービス」というのは、地方の支店に一点あった在庫を取り寄せた際に、運送会社から、友人にはいった配送案内のことであり、それいっちゃう友人にも、救いのなさを感じたが、そうした情報の開示こそが、現代(いま)の間合なのでしょう。
それにしても、「間合」とは、何と身勝手で、それゆえ、優雅な響きを持つ、語彙であることでしょう。
白いテーブルクロスの上に、両の外側から等間隔に並べられた、銀のカトラリーの間合。
運ばれてきたそれぞれの皿を、内側から手にしたカトラリーで、平らげていくときの、料理を待つ間合。
それぞれの料理が、白や赤のワインで、変わっていく、味の間合。
「ここの払いは、私が」
といったとき、それを受けかねている友人の逡巡は、でも、こちらの「勝手」を「優雅」に受けいれ、階下に降りていったときに見せた、何たる「間合」の妙であったことでしょう。
「ピスコを飲みに行きましょう、俺がおごります」
と友人にいわれ、
「グラッパのこと?」
と応えたのは、それが、ワインの蒸留酒であり、今夜のエスコートに対する、友人のせめてものあがきであろうと推察。
「オマエ、いつも、エスコートしたいんだもんな。いいよ、どこへでも案内して」
といった先にあったのは、「臨時休業」の張り紙。
まあ、心地良い間合に満たされたひとときを、そのまま持ち帰って、眠りに就くのもいいんじゃない? と昨夜の友人のお誕生会は、傘をたたんで、おひらきとなりました。
おしまい。