「まん喫オカマルトの「マンガが苦手なアタシの人生に影響を与えたマンガたち」コーナー」に、「JUNE」や「ALLAN」も並んでいると聞いた。(エックスのポストで知た)
「マンガが苦手なアタシ」とは、「オカマルト」の店主、マーガレットさんのことであり、そのかみのマー様の「人生に影響を与えたマンガたち」もさることながら、コーナーに並んでいるとおぼしい、「「JUNE」や「ALLAN」」に、
「そういえば、「ALLAN」は、コンプしてるけど、「JUNE」は、何号までコンプしてたんだっけ? 」
と、押入にいれた収納庫のなかのそれを調べてみると、創刊号から61号までと、終刊(85)号の、62冊を所持していて、とりわけ、リアルに読んでいた、1987年の一年間分、六冊の中身をあらためてみました。
「Aesthetic Magazine For Gals」
とは、創刊号に副題として記されたそれであり、直訳すると、「女の子のための耽美雑誌」とでもなるのでしょう。
なるほど、当時、高校生であった私に、「JUNE」をすすめたのは、クラブの後輩の「女の子」であり、そのことが縁を取り持ち、その後、二年間の学生生活は、彼女とともにあったといえます。
しかし、クラブがない日は、同級生の男の子と、帰路を共にしていたし、その途上で立ち寄った、駅ナカのトイレで、ゲイ雑誌「さぶ」を知ったことは、彼女には黙っていました。
「女の子のための耽美雑誌」に共感する一方で、同級生の男の子とは、「男と男の抒情誌」を実践していた、などと、彼女に対して、否、世界に対して、口が裂けてもいえない、ふたりだけの秘密でしたから。
思春期とは、自分を取り巻く世界を欺き、欺いたことで、世界から追放される、かくれの一季節、はたまた、隠棲期の別称でしょうか。
とまれかくまれ、「JUNE」です。
「マンガが苦手なアタシの人生に影響を与えたマンガたち」のコーナー(エックスのポストで見た)に、私におけるそれはなかった。
いやいや、竹宮惠子の『風と木の詩』がそうであり、「JUNE」の創刊前夜、版元(「さぶ」と同じサン出版)の佐川俊彦の誘いで参加した竹宮は、その理由として、「当時『週刊少女コミック』で連載していた『風と木の詩』の援護射撃になることを期待していたと語って」(『竹宮惠子のマンガ教室』)いて、クラブの後輩の「女の子」にすすめられた、1987年以前に読んでいた「風木」に、その素地は出来上がっていたのだと、ここに記しながら、そのルーツに触れた思いです。
その竹宮が、新人を輩出する? べく、誌上に持ったコーナーが、「ケーコタンのお絵描き教室」であり、「リアルに読んでいた、1987年の一年間分、六冊の中身をあらためてみた」ところ、
「話より絵が好き」
と後輩の「女の子」に示した、『ONE DAY ONE NIGHT』も、そこにあり、数十年を閲したいまとなっても、かわらず「好き」な「絵」でしたし、「男と男の抒情誌 SABU小説傑作集」の開けていない「袋とじ」に、その頃に持った「秘密」に対する、それが、せめてもの免罪符のように思えるのでした。
おしまい。