先のブログ(「感情」)にも書きました、池田理代子の『おにいさまへ…』に持った感想の続きです。

今週は、第十一話から第二十話までの十話分を見ました。
最初のように、五話分を二日で見てしまうほどには、ひと渡り相関関係もわかってきましたし、第十話以降、それぞれの人物、すなわち、一の宮蕗子(宮さま)、朝霞れい(花のサン・ジュストさま)、折原薫(の君)にクローズアップした、各話の構成になっているのも、「彼女ら」を知るには無理がなくてよかったです。
「感性凡庸組」の御苑生奈々子、有倉智子、信夫マリ子の三角関係も、マリ子の、奈々子に向けた、身を焦がすほどの想いを、奈々子自身が、マリ子の命の火と見、そうした、焔(ほむら)の輝きに打たれて以来、この隣席でもあるクラスメイトは、智子を交えた、それぞれの「隣人」となり、さらに、その「凡庸組」を不滅のものとしました。
そうした「凡庸組」をカモ? に、マリ子×薫の君、奈々子×花のサン・ジュストさま、の恋リアが勃発。
智子は、変わらずシングルですが、このひとは、現実という名の定点なので、以後、ブレることがないことに期待します。笑
それで、宮さまなのですが、青蘭学園生徒会長であり、主宰のソロリティでは、女王のごとく君臨している、いわば、ラスボスで、その宮さまが執心しているのが、「凡庸」のなかの「凡庸」、奈々子であり、奈々子眷恋の花のサン・ジュストさまを支配しているといった、歪んだ三角関係の頂点で、不吉に輝いている、いわば、凶星(まがぼし)でもあるのです。
それにしても、この「学園百合物語」を、二十話まで見てきて思うのは、スクール・カーストといった、学園の制度に裏打ちされた、その構成社会のなかでの序列が、「生徒会長」であり、「女王」であり、「凶星」であるところの、宮さまの「感情」しだいで、いかようにもなるところで、ちょっと、令和(いま)の政権のありようにも重なり、本気でわかり見が過ぎるのですが、そこは、「ベルばら」の原作者、すべては、フランス革命下の世界観へと、あるいは、終結するのかもしれません。(テキトー)
ところで、私は、「第十話以降、それぞれの人物、すなわち、一の宮蕗子(宮さま)、朝霞れい(花のサン・ジュストさま)、折原薫(の君)にクローズアップした、各話の構成になっている」と言いました。
彼女ら三人の横顔(プロフィール)を、「ベルばら」オスカルのそれに重ねてみるとき、その絵姿を、それぞれが踏襲していることに気づいて、ハッとしました。
となると、アンドレは、一の宮貴、フェルゼンは、辺見武彦、とはならないところが、百合の紋章のうちに、閉ざされた「学園物語」の、面目躍如なのでしょうか。
たぶん、次回につづく。笑




















