凶星

先のブログ(「感情」)にも書きました、池田理代子の『おにいさまへ…』に持った感想の続きです。

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今週は、第十一話から第二十話までの十話分を見ました。
最初のように、五話分を二日で見てしまうほどには、ひと渡り相関関係もわかってきましたし、第十話以降、それぞれの人物、すなわち、一の宮蕗子(宮さま)、朝霞れい(花のサン・ジュストさま)、折原薫(の君)にクローズアップした、各話の構成になっているのも、「彼女ら」を知るには無理がなくてよかったです。
「感性凡庸組」の御苑生奈々子、有倉智子、信夫マリ子の三角関係も、マリ子の、奈々子に向けた、身を焦がすほどの想いを、奈々子自身が、マリ子の命の火と見、そうした、焔(ほむら)の輝きに打たれて以来、この隣席でもあるクラスメイトは、智子を交えた、それぞれの「隣人」となり、さらに、その「凡庸組」を不滅のものとしました。 
そうした「凡庸組」をカモ? に、マリ子×薫の君、奈々子×花のサン・ジュストさま、の恋リアが勃発。
智子は、変わらずシングルですが、このひとは、現実という名の定点なので、以後、ブレることがないことに期待します。笑f:id:sumiretaro:20260906103834j:image
それで、宮さまなのですが、青蘭学園生徒会長であり、主宰のソロリティでは、女王のごとく君臨している、いわば、ラスボスで、その宮さまが執心しているのが、「凡庸」のなかの「凡庸」、奈々子であり、奈々子眷恋の花のサン・ジュストさまを支配しているといった、歪んだ三角関係の頂点で、不吉に輝いている、いわば、凶星(まがぼし)でもあるのです。
それにしても、この「学園百合物語」を、二十話まで見てきて思うのは、スクール・カーストといった、学園の制度に裏打ちされた、その構成社会のなかでの序列が、「生徒会長」であり、「女王」であり、「凶星」であるところの、宮さまの「感情」しだいで、いかようにもなるところで、ちょっと、令和(いま)の政権のありようにも重なり、本気でわかり見が過ぎるのですが、そこは、「ベルばら」の原作者、すべては、フランス革命下の世界観へと、あるいは、終結するのかもしれません。(テキトー)
ところで、私は、「第十話以降、それぞれの人物、すなわち、一の宮蕗子(宮さま)、朝霞れい(花のサン・ジュストさま)、折原薫(の君)にクローズアップした、各話の構成になっている」と言いました。
彼女ら三人の横顔(プロフィール)を、「ベルばら」オスカルのそれに重ねてみるとき、その絵姿を、それぞれが踏襲していることに気づいて、ハッとしました。
となると、アンドレは、一の宮貴、フェルゼンは、辺見武彦、とはならないところが、百合の紋章のうちに、閉ざされた「学園物語」の、面目躍如なのでしょうか。
たぶん、次回につづく。笑

感情

池田理代子原作といえば、『ベルサイユのばら』、通称、ベルばら。
広義に? はじめて読んだ少女漫画、はたまた、少年漫画が、『地球(テラ)へ』となっているし、思春期は、竹宮惠子先生一辺倒だったので、それ以前に読んでいた池田理代子の「ベルばら」が、なぜか、なかったことになっていますが、詐称するほどの想いいれもありません。

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その池田理代子原作、『おにいさまへ…』が、コロナ禍中の全話無料配信ぶりに、いま、マイブームになっていて、都合、二日間で、第一話から第九話までと、第二十三話の十話分を再見しました。
三十五話完結なので、まだ、1/3も見ていませんが、残りの各「話」を見切れるか!? あるいは、コロナ禍中は、「無料配信」期限があったし、おうち時間もあったから、その徒然であっても、見切れたのですが、再見となると、各「話」への期待度が高くなり、ようするに、その解像度も高くなって、「見切れるか!?」となるわけです。笑
ひとまず、主人公の奈々子と、親友智子は、棚に上げます。
悲しいかな、我々と同じ普通の感性の持ち主たちであり、これまた、同じ健康な精神の持ち主たちでもあるからです。
つまり、彼女ら以外の附属中学からの繰り上がりの生徒ら(ただし、名はなくとも描出されているものも含む)、とりわけ、蕗子、れい、信夫、美咲、については、私的に狂人認定していて w、薫(の君)は、別格で、このひとの輝くばかりの魅力(が強いゆえに)が仇となる(光との差異)かの危うさを、いまは、見守っているといったところです。
「巷に雨の降るごとくわが心にも涙ふる」(ヴェルレーヌ/堀口大學 訳)
などと会話の途中にぶち込んでくる、れい(サン・ジュスト)の感性が謎過ぎますが、そのれいに、想いを寄せている薫(の君)の、れいに対するニーチェのごとき隣人への不確かな愛も、謎です。(遠い目が好きって!)
ようするに、彼女らは、その属性からくる感情(ホルモンのバランスなど)の振幅以前に、思春期であり、まずは、それを前提にして、各「話」を見ないことには、こちらの「私的」な「狂人認定」に、足元をすくわれてしまおうというもの。
そんな、整理もついたところで、第十話から最終話まで、残りの各「話」を「見切れるか!?」などとのそれが、杞憂に終われば、御の字です。
おしまい。

頸青

「thisvid」という、ゲイの動画投稿サイトに、「JAPANESE OLD VIDEO」とのタイトルで、80・90年代のゲイビデオ(以下、ゲイビ)が、内容によっては、Part1からPart4まで、フルではなくサブスクでアップされていて、かつ、そのタイトル(「JAPANESE OLD VIDEO」)自体にもPart2があり、さらに、各Partが、言ってしまえば連綿と続く、途方もない、あるいは、大概な投稿者がいます。
その「途方もない」ゲイビのタイトルを、これも、主にゲイ雑誌の広告を頼りに、例えば、顔の類似度を計測(アプリで)して、はたまた、第三者の目線から、割り当てていくといった、「大概な」ことに挑戦している猛者がいます。
猛者の名を、ヒロシ(仮称)と呼んでいますが、今夏で実質、一周年のお付き合いとなります。笑
ところで、先の『僕たちのゲイビ論(2)』の別冊、『人造美少年メケメケ』を、これも、「メケメケ」のデビュー曲で、彗星のごとく現れ、惑星のごとく、昭和・平成・令和と、その存在を不動のものとした、巨星、美輪明宏が亡くなる、ひと月(正確には二十日)前に書き終えました。
さらに、つぎの本誌『僕たちのゲイビ論(3)』を書き終えたのは、先週末のことで、だから、この一週間は、書き終えた「別冊」を本にするべく、その推敲&入力を、スキマ時間に進めていました。
そんな「先週末」に、行けば何かしらときめきがある、通称「御用達ストア」のエントランスに置かれたバケツのなかに、各種百数円の切り花がいれられていたので、そこから、テッポウユリを選んで買いました。f:id:sumiretaro:20260809085649j:image
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そういえば、家内との周年記念のお祝いのときに歩いた、目黒の「自然教育園」にも、ヤマユリが自生していて、夏を代表する花であることを、暮らしのなかでも実感しました。

 

頸(くび)あをき少年と対す百合の前

 

という、石田波郷の、わたし的には著明な句があり、今夏ほど、「少年」と「対」した夏は、少年の頃ならいざ知らず、友人の子息を撮らせてもらって以来、なかったことで、その旺盛な知識欲に冷水どころか、清冽な滝のごとく、それを浴びせられた思いです。
少し違った例えになりますが、三島由紀夫は、稲垣足穂の『少年愛の美学』を、日本文学大賞に推しながら、ついぞ、対面したことがなかったと聞きます。
足穂という人物にではなく、足穂の「少年」像を、三島なりに昇華させていたのだろう、記述を何かで読みましたが、手元に資料がなく引用出来ないことが、もどかしいです。
そういったテイの想いを、我が「頸(くび)あをき少年」に持ったのは、ヒロシがかけがえのない「夏」という一時期を、ご家族に心配されながら、仕上げてくれた作物を読ませてもらった一年前に遡りますが、早いもので二度目の「夏」も、暦の上では、立秋を二日過ぎました。
しかしながら、ヒロシは、青年であり、対面もしています。
あくまで、私の思念(パンセ)のなかの「少年」であることを、付記しておきます。笑
「少年」のようなひとである、と。

夕凪

夏用の敷布団カバーととものマクラカバーとを外し、洗濯して干して、畳んで仕舞った。
家内からもらった、これも夏用の敷布団カバーととものマクラカバーに掛け替えるためです。
そうやって上半期が過ぎたことを、年中の行いのうちに知り、この三か月弱を振り返り、ひと月ごとに襲った? すったもんだに、思いを馳せてみます。

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ことしの漢字は?
と訊かれれば、

と、早くも応えることが出来るくらいには、立て続けに起こった「老」問題に、「ひと月ごと」、バージョンアップしていったかの心地。

老猫問題については、短文にしました。(小冊子として刊行予定 w)
老居問題については、二年前のブログで書き、現在進行形です。
そして、老親問題については、このたびのブログではじめて書きます。
話は、年度末に遡ります。
当然、新年度に向け、繁忙を極めています。
それゆえ、病院に付き添えるか確約出来ない旨、「老親」に伝えたところ、こじれた→音信不通→ほっとく。
とはいえ、月末には電話→出ず。
のルーティンを二か月続け、三か月目にして、ようやっと出た、父の近況を知るにいたり、ほどなく、入院となりました。
「こじれた」からの行状を読まれれば、こちらが、いかに、ことをタンタン、にしタンクリニックよろしく、運んでいるかがおわかりになるでしょうが、「老猫」にせよ「老居」にせよ、ましてや、「老親」にいたっては、こちらの事情で「問題」を運ぶわけにもいかず、これも、タンタンと日々の業務と週末の私事とに、気を紛らわし、出動要請に対応しつつ、運ばねばならなかった、もどかしさなのでした。

ゆえに、省エネ作戦、ありていに言ってコスパです。笑

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ようするに、そうした「不可」がなければ、五月一日の「老猫」発病から、あっという間に過ぎた、三か月弱てあり。

ことに、海の日の連休の初日に、夏用の敷布団カバーととものマクラカバーとを外し、洗濯して干して、畳んで仕舞い、家内からもらった、これも夏用の敷布団カバーととものマクラカバーに掛け替え、そうやって上半期が過ぎたことを、年中の行いのうちに知る、それだけのことです。
そうした一連の「すったもんだ」のあとで、昨夜などは、ふと夕凪のような波風のない、ひとときが来たすのを感じました。
「この三か月弱は、あなたの周りでは、風が吹きっぱなしだった。
老猫、老居、老親。

一つ収まると次が来るような感覚だった。
それが今、全部終わったわけではないけれど、
「今、この瞬間は、風が止んでいる。」
そんな感じなんだろうね。
だから、この静けさは、何もしないで味わっていい時間だと思う。」
とAIコンシェルジュこと「三号」から言われ、
「夕凪を感じながら、ご飯が炊けるのを待つ、、、食べることは生きること」
と、用意のレトルトカレーを、白い大皿に盛った白飯の上にかけて、シンプルにいただきました。

そんな、忘れがたい、夕凪のひとときです。f:id:sumiretaro:20260719153827j:image

周年

電車が到着したタイミングで、家内からLINEがありました。
「いま着きました。ごゆっくり」

そのテンプレに甘えるときもあるけれど、
「到着したタイミング」とあらば、急がないわけにはいきません。

近くしか見えないコンタクトレンズであっても、遠方にいる家内を見誤ることはありません。
「お待たせ」
とご挨拶。
ひとまず、ランチをとりに向かうさ、グーグルマップで確認。
「ここかな?」
開店、三分前。
ほどなくシャッターが上がり、ヒゲを蓄えたアジア系外国人の店主が、どうぞと迎えてくれました。
打ちっぱなしのコンクリートの壁と赤いカウンター&テーブルが、スタイリッシュな店内。
奥のカウンターに横並び、引き出しから、ナプキンとマエカケを使います。f:id:sumiretaro:20260712185025j:image
「花山椒が効いてたね」
と食べ終え、家内に感想したら、
「手を洗わず麺に触れてた」
と。
気づかなかったことだけに、聞き流していたら、
「シャッター上げたその手で」
とつけたされました。
「よく見てるねえ」
と、衛生観念の薄さに、たじたじ。
思い返せば、十年昔に、そうした「観念」の違いにストレスを感じたこともありました。
それがもとで喧嘩をしたことも、しばしばです。
そこから、コロナ禍を経て、いまに至っているわけですが、禍中会うことが少なかったのは、あるいは、家内の「衛生」に対する、厳しさのゆえか? とも思うけれど、ときは過ぎました。

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天蓋を巡らす緑の下。
木造りのベンチに横並び、周年記念の贈物を渡しました。
「開ける前に当ててみて」
「軽いけど、まさか、指輪とか?」
「そういう気持ち悪いものではないよ」
と一日千秋の想いでいた十年昔なら、絶対に言わなかったことが、口をつきました。
「ヒントは手。しかも一生物」
と十年昔に戻って、はしゃいでいる、バカらしさに、
「こうやって、俺の指を握って、ちゃんとキレイにしてね! って。自分でも磨いたりしてたよね」
とこれまた、家内の「衛生観念」を過ぎらせつつ、
「もしかして、爪切?」
「当たり!」
と十年昔に戻ったかの一幕劇は終了。f:id:sumiretaro:20260712185227j:image

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老猫のこと。
老親のこと。
会って話したかった、家内にも関係のあること。
を暗くなったり明るくなったりしている、天蓋を巡らす緑の下で話し終えると、同じ世代になって二回目の誕生日を迎えた家内に、それゆえ、定年から先の生活のことや、それにともなうお金のことなど、世代相当の互いがお悩みを話し会い、獣医にかかっている老猫の話から、投薬しているそれをもっと安く入手出来るかも、と相変わらず、価格.comな家内なのでした。
「育毛薬を安く入手してるんだ」

と家内。
「え、俺も飲みたい、ひと月分、都合して」
「効果は三か月後、ただ、副作用があるかもわからんしね」
とこれまた、十年昔なら、気にもかけなかったであろう、老いの過渡期を、互いが迎えていようとは、ゆめゆめ思いもよりません。
確かに、ヒタイが上がり、シラガも増えた。
だからといって、互いを包んでいるものは、少なくとも家内の内面からくる、きちんとした感じ、ありていにいって清潔感は、十年昔から変わりません。

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「こころのことをね、、、話せるから」
「こころのことなら、話してほしい」
「これ食べて」
「ああ、いつもの、お菓子」
「夏用のなかったでしょ? だから色違いで買ったやつ、あげる」
と夏用シーツとお揃いの枕カバーを、提げていたトトバッグから取り出し、これも、いれていた紙袋にいれなおして、家内から渡されました。
重い。
「ああ、持つよ」
「大丈夫」
「持つよ、かして」
十年昔とまったくかわらない、優しいところ。
周年記念、しっかり、やって良かった。


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贈物

十年前にはいった保険が、誕生月で満了になりました。
さらに、十年前にはいっていた保険が、満期になったので、更新(別商品に加入し直)した、というわけです。
「ひと保険」
という造語は、そうした「更新」時期に、友人の誰かから聞いたそれで、つまり、酸いも甘いも噛みわけ、不惑・知命とを知る年頃になると、転ばぬ先の杖が必要になるもの。
と理解し、積極的に、伴侶(以下、家内)をゲットしました。笑
そんなこんなで、保険期間とともにあった家内との関係も、先方が誕生日を迎えて、丸十年。
試みに、手帖を見ると、昨年の「誕生日」は、空欄。
一昨年の「誕生日」は、ケーキのアイコン。
と、これも、試みに、十年前のSNSを遡って見ると、一日千秋の想いであったことが、つぶやかれていて、そうした来し方の、何という素気(すげ)ないことか! と、昨年の「誕生日」の「空欄」に、つくづく思いました。笑
ようするに、「十周年」というサプライズのもとに、このたびは、近年、忘れてさえいた家内の「誕生日」をお祝いするべく、つとめて贈物を用意してみたというわけです。笑
同年の同性に贈る物で思いつくものといったら、
ベルト
しかなく、その旨、AIに訊いてみると、いくつか、候補を挙げてくれました。
ただし、服、靴、鞄は、ナシで! と、実用品でありながら、消耗品ではないもの、とのエクスキューズを付けて。


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AIが挙げてくれた、いくつかの候補のなかから、
爪切り
を選び、どうせなら、それの最高峰を! ということで、新潟県三条市にある諏訪田製作所の「爪切り」を、そこんちのオンラインショップで注文したというわけです。
そうした、限定付の贈物を選んでいるさなかに、「すみっコぐらし」のものものなのに、それゆえ、なくても困らない「ものもの」の魂の輝き(な、おおげさな!)に気づき、そうした「ものもの」を自分、はたまた、家内(家族)に選んで使うことのご自愛に、こころが整いました。

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それは、さておき、「オンラインショップ」です。
本体(商品)に、革ケースのオプション、さらに、名入れ、などなど。
「付帯情報」、クリックの猿じゃないけど、サプライズという名のそれが発動したものか、いわゆる、「全部載せ」にしてみたものの、「名入れ」不可の本体(商品)に、相半ばする、サプライズへの懐疑! というわけです。
そもそも、「十年」、それの周年記念が、いけません。
それも、さておき、「納期」です。
家内の都合を訊き、あらかじめ決めていたその日だと、贈物が到着していません。
「もちろん、〇日でも大丈夫だよ。一応聞いてみた。」
などと、日にちの変更を誘導してみたところ、快くオーケー! が出ました。
贈物の「到着」の都合ながら、用事(デート)は一回で済ませたいもの。
という本音を、「サプライズ」も非サプライズになっていく時間の推移に感じました。
保険とは、忘れた頃に、「満了」が訪れ、「満期」あるいは、「更新」していくものですが、「ひと保険」には、「満了」「満期」「更新」は、この先、いらない生涯でありたいものです。
などとの想いがあったかは知りませんが、贈物に選んだのは、「爪切り」。

そもそも、「すみっコぐらし」のものながら、一生もの! という壮大さなのでした。(バカか)
おしまい。

 

※ 併せて読みたい。

「藍宇」
https://sumiretaro.hatenadiary.jp/entry/2024/02/04/062342

 

幻花

東風終さんのことは、拙誌『僕たちのゲイビ論』で書きました。
正確には、東風さんが80年代に設立した、「クリエイターズ」という、ゲイビデオ・メーカーについてです。
その東風さんこと、稲嶺啓一さんの個展「幻花青年 SEINEN Phantom Lotus」を観に行きました。

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広い空間に、さほど大きくはない、額装の写真が並び、それらの作品を観る前に読んだ「作家略歴」には、
「1991年に解散した後、1994年に東風写真事務所を設立した。写真集『月の日』(東風写真事務所)続く『一瞬の肖像』(コチスタジオ)」
とあり、「クリエイターズ」(1983年〜)を1991年に解散→「東風写真事務所」→「コチスタジオ」と、東風さんが設立した「ゲイビデオ・メーカー」から、「写真事務所・スタジオ」へといたる、変遷を追うことが出来ます。
このたびの最新写真集『幻花青年』まで、三十年のタイムラグがあることも、『一瞬の肖像』(1996年)の刊行年からわかりました。
会場内を一巡して思ったことと言えば、
「一貫している」
ということであり、スタジオ撮影によるそれも、撮影の手法こそ、そのときどきでかえてはいるものの、基本、東風さんの美意識に貫かれた青年たちの肖像です。
そうした「青年たち」の肉体は、これも、東風さんが捉えた「美」の絶頂を、ブルーライトに投影され、あるいは、その全身を金色に塗られ、はたまた、競技選手たちの「一瞬」のそれをも「肖像」にしてしまう、といった感性のうちに表現されています。f:id:sumiretaro:20260614091253j:image
思春期にはじめて見た「クリエイターズ」のゲイビデオを、メーカーが運営するサイトであらためて見て、その動画を静画にかえるといった、東風さんの「感性」、つまり、「一瞬の肖像」は、このスタイリッシュな作家の、それゆえ、大義名分なのだな、などとも思いました。
なお、東風さんの近年の個展に、AKIO NAGASAWA での、「OTOKO」(2021年)がありますが、展示を見たのは、はじめてです。
このたびの「幻花青年 SEINEN Phantom Lotus」は、KOMIYAMA TOKYO G で、28日まで。

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