「海の中の探偵に問う、少年の屍(し)が桜貝に変じた謎を」
*森島章人歌集、『月光の揚力』収中、この一首より創を得たことを附記します。
とは、拙「作品集成 I」所収、「櫻色手帖」の最後の一行と、それの注釈です。
この歌を詠んだ、歌人、森島章人さんには、拙著「夕化粧」に帯文を書いていただいたのですが、その馴れ初めが、どうにも、思い出せません。
第一歌集、『月光の揚力』を買い、巻末に付された住所に、手紙を宛てたのか、はたまた、私宛に歌集をご恵投いただいたのか、そのかみの、イギリス人教師「セシル・ブロック」のごとく、
すべては、ブロックの夢想を促す、「青春の生国(しょうごく)」での出来事
のようでもあります。
ところで、その拙「作品集成」に、「解題」を書いていただいている、Kさん(下のお名前で呼んでいる)と、私の生業が、年末年始・事業年度末が繁忙期にあることから、新年会ならぬ新年度会をひらくその前に、これも、互いが趣味の一致から、きのうは、東京古書会館で催されている、古書展に立ち寄ってみました。
ひさしぶりの「古書展」でしたが、いつもなら、ひとりで赴き、会場の棚を二見し、取りこぼしを回収、後ろ髪惹かれたものは二日目(があれば)に、というのがそこでのルーティンですが、なあに、友人同伴で、漁るほどの書痴でもありますまい。
そんな、冷やかしで廻る一見目のさなか、
「面白いもの見つけました!」
とKさんに見せてもらったのは、ビニール袋にはいった薄い冊子であり、
「血の香 第賛号」
とタイトルされた、黒いカバーのそれで、
「えっ!!」
と声出ちゃった! のは、その冊子が、先の歌人、森島章人さんの「個人誌」? だったからでした。
「蘭精果の名もあるから、もしかしたら、この○○○○(失念)も、森島さんじゃないかしら?」
とそうした「個人誌」あるあるを、棚に上げつつ、Kさんの抜きっぷりに、「書痴でもありますまい」との、私の衒(てら)いは、いつしか、二見目の足を、棚に向かわせていました。
(負けず嫌い w)
湯川書房の美麗な特装本や長谷川敬(赤江瀑)の詩が掲載された詩世紀など、Kさんの抜くそうした本と、私が目に止める本との差異を、その年齢差ほどにも感じながら、ふと、我が「青春の生国(しょうごく)」に思いを馳せました。
ところ移って(シンガポール料理店での一次会から)、地元サイゼでの二次会のこと。
「僕の歳の頃、何されてました?」
とKさんに訊かれ、
「新卒の会社を三年で辞めて、腰掛けのバイトしながら、運転免許取りに教習所通ってたかな。小遣いにしかならないバイトだったから、実質、実家でプー太郎だね、あはは」
との我が「青春の生国(しょうごく)」の表層を話つつ、その頃の文学趣味が、いまのKさんのごとく、
バラであるからこそ存在価値がある
それであり、
お腹の空いた犬にバラの花を与え
られても、それは、食(使)えるのか? と自問する、いまの私でないことは、確かです。
とはいえ、そうした私の吟味も、Kさんに「解題」を書いていただいている、拙「作品集成」の根本といえるもので、「私が目に止める本との差異を、その年齢差ほどにも感じ」るのは、あるいは、年輪といえるものなのかもしれません。
「年は取りたくないね」
とは、まったく、ご愛敬ですね。笑