認知

「おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。」(『善悪の彼岸』)

とは、ニーチェの名言であり、現代にも通じる哲学をはらんだそれであることは、例えば、

「深淵」

を、

スマホ

に変換してみても、容易に察しがつくでしょう。

つまり、レコメンデーションとは、それを覗く個人にしか機能せず、そうした、情報という名の「怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。」(『善悪の彼岸』)とは、私自身への戒めでもあるのでしょうか。

いずれにしても、「スマホ」を覗いている時間は長く、ことに、「エックス」や「インスタ」にアカウントを持って以来、その間の世界は、そうした、SNSにしか開かれておらず、そこで得られる「情報」が、私自身の認知の一つを形づくっているとしたら、それのアンチたる認識、つまり、メタ認識(客観視点)を持たねば、自らが「怪物」と化すのも、時間の問題といえるでしょう。

ところで、「インスタ」に、「リール」(というショート動画)があり、ここ数日、フォロー外の若いゲイのそれが、上がってくるようになって、その残念な顛末に、内心ほくそ笑んでいる自分がいて(これこそが、怪物!)、「残念な顛末」にいたる、動画の筋から目が離せません。

いわゆる、「マッチングアプリ」で知り合い、ことばのやり取りを経て、実際、会ってみると、、、から、「残念な顛末」にいたる、主観視点からの「リール」です。

この全勝全敗の、若いゲイの「リール」を遡りながら、

「なんと、まあ、クローゼットなことか!」

と思ったものです。

まず、先方のスペックと職業のキャプションを上げ、「ことばのやり取り」のなかで得られた「主観」をもとに、呼び名を付し、先方を、その「呼び名」でもってこき下ろしたあと、

「to be continued」

で締める。

先方は、このことを知っているのでしょうか? と場所や人物こそ上げぬものの、衆目に曝している以上は、ゴシップであり、好餌でもあるのです。

だって、「その残念な顛末に、内心ほくそ笑んでいる」怪物!も、こうして、記事にしているのですから。

それはともかく、年末、タイと中国を旅行したという身内から、小ぶりの紙袋を渡され、こちらも、用意していた、これも、小ぶりの紙袋を渡しました。

お土産と贈り物との交換ですが、身内のそれは、予期していなかったことだけに、嬉しくもあり、また、贈り物を選ぶつかの間、身内に寄せたこころをも、回収出来た気がしました。

「あまり会ってなかったコロナ禍中(高齢のお母さまと同居ゆえ)は、べつのひとと(同僚)と隔月で飲み食いしてたよ」

と他意なく伝えるも、「情報」として得られたそのことに、まったく無関心な身内でした。

「情報」とは、受け取る側の「認知」によって、ゴシップにもなる、ということを、食卓に並んだアジアン料理の数々に、箸をつけながら、漠然と思ったものです。

ようするに、箸が転がろうとも、我々が、喜怒哀楽を示す(あるいは、示さねばならない)、時期は、とっくに過ぎているのです。

「to be continued」

で、つぎに行けない悲しみが、ここにあります。笑

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