話は六月の初旬に遡ります。
不動産からの電話に出ると、こんどの更新に際し、
「建物老朽化につき、取り壊し前提で、契約する旨」
促されました。
二年ごとの更新を繰り返し、転居十年目にして言い渡されたことながら、鎌倉住みの一周り(12年間)に馳せた想い。
退居の月がひと月違いで重なった、庭続きのお隣さんに、その旨、ご挨拶に行った日のことが、ふと、過(よ)ぎります。(十年前の出来事)
「もう、一年も家賃払ってなくて、いま、調停中なんだよね」
とお隣のご主人。
「それはまた」
と私。
「雨漏りするから、大家に、修理をお願いしたら、自費でやれ、と。だから、家賃払うのやめたんだよね」
「へ?」
と反応してしまったのは、私の退居に際し、挨拶に来た大家から、
「長らく住んでいただきありがとうございました」
と返されたときの、穏やかな表情(かお)を思い浮かべたからであり、それにしても、極端なお隣のご主人の話の続きを聞くと
「で、脅しの連中が来たらことだから、女房を郷(くに)に帰してるんだよね」
いよいよ、わからなくなった、ひとのこころというわけですが、いずれにしても、そうなるのには、お隣のご主人にも原因があるわけで、そうした、当人同士でのやり取りについては、一方的にしか聞けない意見の相違もあるでしょうから、まあ、同情しか出来なかったけれど、格安で見積もってもらった引越屋を紹介し、退居のご挨拶にかえました。
それにしても、「水漏れ」です。
浴槽の排水をして、ほどなくあったピンポン(たぶん下階の住人)には、出れなかったけれど、そのすぐあとにあった、大家からの電話に出てみると、斯々然々、「水漏れ」の報でした。
その数時間後、大家と業者の立ち会いを受け、
「建物保険で賄えるかどうか、場合によっては、家財保険の手続きをお願いするかもしれません」
と大家。
「はい」
とはいいじょう、排水溝に突っ込んだ器具は、その痕跡のなさを語って余りありましたが、排水口に被せた鉄製の弁(釣り鐘)は、サビにサビていて、質量を倍加させていたことは、事実です。
そのことによって流れの悪くなった水が、浴室のドア下の隙間(老朽によるコーティングの剥がれ)から、下階に漏れて天井を濡らしたらしいのです。
つまり、それをこちらの落度と捉えるか、建物の老朽と捉えるかによって、双方にかけている保険の適用もかわってくるというわけです。
不動産から、保険証番号が、ショートメールで送られてきたのも、そのタイミングでした。
「こういう場合、下階にご挨拶にうかがったほうがいいんでしょうか」
と私。
現況、保険の適用が決まっていないからには、その非がどちらにあるかも、当然、判断出来ないタイミングでの私の問いは、しかし、そういう事案に接することが多いでしょう、大家の経験から、そうした対応へのアドバイスを、もらおうとしたに過ぎません。
果たして、「非」は、私になく、大家の「建物保険」で賄うことになりました。
とはいえ、「しがらみ」という名の悪魔が、施工工事を待つまでの一週間のうちにも、私を襲い、その「常識論」をしきりに迫ります。
「〇〇さんは、ぜんぜん、悪くありません。でも、一応、ご挨拶だけは、しておいたほうがいいんじゃないですか」
と他人はいいます。
しかし、私に「非」のないことは、建物の所有者によって立証されているのであり、下階の住人も、いずれ、私共々流浪の民なのです。
私が、一等畏(おそ)れているのは、対話による馴れ(侵食→搾取→奴隷関係)のほうで、一つ屋根の下に暮らしながら、わかる必要のない他人のこころなのです。
私は、冒頭で、
「いよいよ、わからなくなった、ひとのこころというわけですが、いずれにしても、そうなるのには、お隣のご主人にも原因があるわけで、そうした、当人同士でのやり取りについては、一方的にしか聞けない意見の相違もあるでしょうから」
といいました。
要するに、関わる必要から、その「非」の在所をもって、免れたのであれば、とことん、関わらないべきでしょう。
というのが、私の出した回答ですが、果たして、正解かどうかは、わかりません。
これについては、賛否あるでしょうから。
まったく、「しがらみ」という名の悪魔ってヤツは。