期末月の翌月、つまり、四月・十月は、農閑期で、いまや、二季しかないその短い春秋を、全力で楽しもうと、四月は、種蒔、十月は、収穫と、それぞれ「菫太郎論集」の製作に勤しみました。
四月に播いた種は、『作者は誰?』に結実し、十月に獲った実は、来る十二月の文学フリマ東京で売るつもりです。
また、「二季しかないその短い春秋」は、散歩の季節でもあり、これも、その名を冠した「散歩展」(五反田・南部古書会館)に、昨日は、出掛けました。
会場は、ガレージとフロアーに別れていて、ガレージには、1960年代から1980年代にかけての有無名氏による純文学が多出していて、均一ということもあり、三冊買いました。
そのうち『禁苑』は所持しているものの、作者がムダにイケメンというだけで、三冊目になるそれを買うも、未読です。(コレ、三島のユッキーの目に止まったとか止まらなかったとかの、曰く本)
そんなこんなで、フロアーでは、二・二八事件(白色テロ)の体験を物語にした、邱永漢の『濁水渓』と、山川静夫の『歌右衛門の疎開』を、後者は、文庫で買いました。
ガレージ→フロアーと廻り、クロークでカバンを受け取ると、その帰りしな、ガレージの気になる一角を、ふたたび、物色。
胡桃沢耕史の『闘神』を、カバー写真のイケメンに目が留まったわけではありませんが、手に取りパラパラしようとページを開くと、胡桃沢の揮毫が、
「男同士の夢の跡」
とあって、ふと、清水正二郎名義(本名)のホモ本の数々(それぞれ変名による)が、バックグラウンド再生し始め、そうした、均一本ゆえの保護責任? のようなものを感じました。笑
「清水正二郎は1960年代に、さまざまな変名を使って第二書房で多くの作品を書いた」
とは、社会学者、石田仁さんの「集合表象「ホモ」の誕生」 「「偽者」?――清水正二郎」(『薔薇窗』27号) での証言であり、「偽者」とのそれは、初期の『薔薇族』の常連執筆者、農上輝樹の、
「最近、ホモ・セクシャルを商売の種にしているとしか思えない出版物が相次いでいる。…その話が作文なのか、本ものなのか、それをかぎわける感覚を、読者はちゃんと持っている。」
との批判が、ゆえに、「清水正二郎」を「偽者」する、そのことを受けた、本誌『薔薇族』の編集長の反省? をも促し、伊藤の暴露が、
「農上の批判は、実際には直木賞作家の《清水正二郎(=胡桃沢耕史)の作品に指し向けられたもの》であったらしい」
と石田さんの、「伊藤への聞き取り」によって、立証されています。
そんな、「伊藤の暴露」による、当事者にとっては弊害、傍観者にとっては恩恵、かもしれない、ことしは、春秋の二毛作によって、それぞれ、「楯四郎」を検証出来たことは、大収穫でした。
なお、新刊『第三の楯四郎』の初売は、来る12月1日、文学フリマ東京(東京ビッグサイト)にて。
皆さんのお越しをお待ちしています。