台湾ノート 3

「台湾ノート」を読んでくださった、台湾博士から、「戦後の台湾を駆け足で学ぼうとしている様子が伺えます。」との、ご意見をいただきました。
このノート(考察)も、「台湾語」のルーツから始まり、その間、一九四五年までの50年におよぶ日本の植民地時代と、一九四九年の北京政権成立(大陸で共産党との内戦に敗れて、台湾に「亡命」したかたちとなった蒋介石国民党政権は、五月に戒厳令を敷いて軍事独裁政権として台湾を支配)と、その「戒厳令」下の文学についての言及を経て、台湾と台湾人のアイデンティティの一つともいえる、「言語」から「文学」にいたる道筋を、まさに、「駆け足」で辿ってきた感がいなめません。
国民党による言論統制の下(もと)、自らのアイデンティティ・クライシスを起点に作品創作を実践してきた、戦後台湾文学の作家、陳映真と、人々が「台湾人」と「中国人」との対立を扇動しているとき、「台湾人」自らが少数民族に対して犯した「原罪」を省みて、先住民らとの運動に深く思いを馳せた、ジャーナリスト、戴國揮との世代を超えた同士(師弟)の友愛を、「言語」と「文学」それぞれの点を線で結び、「ノート 2」としてみました。
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戴國揮や陳映真は、ともに台湾生まれの本省人でありながら、戦前育ちの戴と戦後育ちの陳とでは、短くも長い時間の懸隔があり、戦後の台湾社会で教育を受けて育った、第二世代の陳と、旧世代の戴とでは、「八・一五」(第二次世界大戦の終焉)をなかに、隔世の感が免れません。
とはいえ、その年の差は六歳。
陳映真と同年の、白先勇は、大陸生まれの外省人第二世代であり、陳とともに、「親の世代の歴史記憶がしだいに希薄になり、戦後台湾社会に生きる人間としての現実感が大きくなって」いる世代でもあります。
本省人であれば、国民党独裁政権下で植民地時代の歴史記憶を負の歴史として精算されてしまう以上、第二世代が現実感をもって記憶継承することは不可能に近くなる。一方外省人であれば、郷土である大陸中国から離れて台湾に暮らす以上、共有すべき集団記憶は常に語られた歴史でしかあり得ない。」
本省人である陳映真と、外省人である白先勇ら、第二世代にとって、一九六〇年代は、歴史記憶の継承よりも、現実の台湾社会で自分たちが何者なのかという問題のほうが大きかったのではないでしょうか。
中華民国政府の高官を父親に持つ、白先勇の生涯は、ゆえに、「中華民国の歴史的推移に影響される運命を辿り」、その人生の歴程が本書「台北人」に記されている、といったらいい過ぎでしょうか。
「こうした一九六〇年代台湾モダニズムを体現する代表的作家が、......白先勇である。中国と台湾、伝統と近代という空間・時間の狭間で、アイデンティティ・クライシスとの自己認識の問題を作品化した作家として、彼は六〇年代台湾モダニズムのみならず、戦後台湾文学を代表する作家の一人」
であると、「台北人」の訳者は、いっています。
台北人」を一読。
戴國揮の「台湾と台湾人」といった、この国のアイデンティティについて書かれたそれと、並行して読んだ「台北人」だけに、物語の境遇と人物の心象とが渾然となって、300頁弱の短篇集ながらも100年強(1895年〜)の長くはない台湾の、でも、壮絶な歴史の変遷をそこに読んだようで、感慨深いものがありました。
「物語の境遇と人物の心象とが渾然となっ」た本書への印象を、「台北人」の訳者は、その解説で、
「社会の歴史は大きな物語としてある種の集団的主観性や整合性を持ってしまうが、個人の歴史は一回しかない生の中で完結するので、客観的な時間と主観的な時間の乖離によって個人の記憶はよりいっそう主観性を強くする。」
と具体的におっしゃっていて、さらに、
「その客観的な時間を形成する社会そのものが劇的に変化する時代を生きる場合は、両者(主観的な時間と)の乖離から強い喪失感や懐旧感情やノスタルジアが生まれ、」
と「壮絶な歴史の変遷」を物語に登場する人物の「心象」に仮託して読んだ、こちらの読みかたとの一致に、畢竟、「過去を記憶として認識しながら現在に投影せざるを得ない人間の哀歌」でもあったと、納得しました。
「最終的に台湾を自分の生きる場所として選択することでしかノスタルジアを維持できない点で、逆に言えば台湾を新たな郷土とすることを宣言しているのだとも言える」のでしょう。
白先勇は、「登場人物のほとんどが台北という都市のネーティブではないのに」、なぜ、そのタイトルを「台北人」としたのか!? との問に応えて、いわく、
「私は「台北人」で歴史を書いたのだという気がします。中国の歴史です。......歴史が繰り返されることのアイロニーです。私はその流浪の民、つまりエグザイルとしての台北人を書きたかったのです。」
戦後台湾社会という場所や一九六〇年代という時間がなければ描き得なかった、白先勇の小説、「台北人」について、このたびは、ノート(考察)してみました。
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*画像は、鄭寛さんより、ご提供いただきました。