台湾ノート 4

十三歳のユン少年にとって、同年のジェイがとった、
「彼の唇がぼくの唇にちょこんと触れた。
ほんの一瞬だった。」
その同性愛的行為は、これも、同年のアガンを従え、
「このホモ野郎!」
と、ジェイに殴りかかっていくに足る、重罪であったのでしょう。
とはいえ、パンチの一撃と、彼らのなかでは、一等喧嘩の強いジェイが、泣いていた、
「それを見たとき、あいつがわざと負けてくれたのだとわかった。」
ユン少年の「同性愛」への精算は、ここで一旦終わりはしたものの、ジェイが継父に殴られ入院したことがきっかけで、
「あの夜のことが頭をよぎる。ぼくにキスをしたとき、あのときだけジェイはとても近かった。近すぎて、腹立たしいほどだった。ジェイはぼくに近づこうとした。......不器用なやり方で。ぼくになにができただろう? こいつを受容も拒絶もしないやり方が、正しい答えがどこかにあったのだろうか?」
とユン少年の「同性愛」への模索は、このときから始まったとおぼしく、
「こいつを受容も拒絶もしないやり方が、正しい答えがどこかにあったのだろうか?」
とのそれは、十三歳の少年が四十五歳の中年になったときに一転、ユンが、少年たちにとった「同性愛的行為」は、法的にも「重罪」として扱われ、この幼馴染みが犯した罪の弁護人としてあったジェイは、あろうことか、ユンの犯した「少年連続殺人事件」に対峙することになったのです。
「わたしは変わった。時間をかけ、ゆっくりと。ただの不良少年が......法律という名の新しい暴力にすがりついた。......弁護士としてのわたしの今日の地位は、すべてあの夜の欺瞞の上に築かれている。それなのに、ユンはわたしのぶんまで心配事を背負いこんで、マンションの屋上から落下しててまった。つぎに会ったとき、彼は病院のベッドでありとあらゆる生命維持装置につながれていた。」
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一九九六年。
「わたしたちは二十五歳になっていた。」
その年、台湾ではじめての直接投票による総統選挙が実施され、そこから、計六回の総統選挙が行われ、二〇年が経過しました。
これまでの「ノート 1」から「ノート 3」までを振り返り、「台湾語」、「戒厳令」、「台北人」と、戦前・戦後、60・70年代まで、の変遷を辿り、いきなり、三年前の情勢を語るのは、このたび取り上げた、日本の現代作家による、台湾(台北)を舞台にした小説の時間軸にならったとはいえ、先を急ぎ過ぎというものでしょう。
では、その日本の現代作家、東山彰良さんの台湾(台北)を舞台にした小説、「僕が殺した人と僕を殺した人」のストーリーを、殺人鬼(=袋子狼 サックマン)ユンを前に、「彼の瞳の奥でなにかがぬるりと動く。泥水のなかで魚の銀鱗が閃くように、有るか無しの光」を見た、弁護人ジェイの、ユンへの尋問のうちに記すと、
「一九八四年、萬華(ワンフウア)の蛇屋から蛇が脱走した。おまえはそれにかこつけて殺人を企てた。継父にいつも殴られていた友達をたすけたかったからだ。一九八五年、おまえは華西街の蛇屋から毒蛇を一匹手に入れた。体長が一メートルほどのコブラだ。そいつで友達の継父を殺すつもりだった......が、計画を決行する日に想定外のことが起こった。アガンの親父がその蛇に咬み殺されちまったんだ」
となります。
ユンとジェイとアガン、このとき、十三歳だった少年たちの「後悔が生まれ落ちた輝かしい瞬間」はまた、「体長が一メートルほどのコブラ」よろしく、「現実と空想を隔てるやわらかな境界線がぐにゃりとゆがみ、おたがいの領域に食いこみ、溶けあい、まるで自分の尻尾をむしゃむしゃ食べる蛇(ウロボロス)のように、ぼくたちのなかで始まりと終わりがひとつになった」瞬間でもあったのです。
そうした、少年たちの感受性を、三十年という時間の経過のはてにひとり引き受けた、ユンの面影は、ジェイに「あまり変わっていないように思え」ました。
しかし、ユンとの邂逅で、ジェイは、「わたしのために獰猛なコブラと戦い、わたしのために間違いを正そうとしたこの手が、アメリカで血に汚れてしまったなんて、にわかには信じられなかった」し、アガンもまた、「ジェイ、......おれのせいでユンはああなっちまったのか? おれのせいで」と、その後悔は、やがて、悔恨へとかわり、地位も名誉もある大人となったジェイとアガンのふたりの首を、
「こいつを受容も拒絶もしないやり方が、正しい答えがどこかにあったのだろうか?」
とそのことを模索し続けたユンの手が、七人もの少年を手にかけた殺人鬼(=袋子狼 サックマン)ユンの、正義という名の「この手が」、絞め続けているのもまた、事実なのです。
「ユンのなかには殺人者がいる。しかも、六人も。......そして最後のひとりが袋子狼(サックマン)だ。同時に、それを成敗しようとする正義の冷星(コールド・スター)もまた、たしかに存在しているーーそんなもっとらしい理由をつければ、わたしの心は慰められる。......わたしとユンはここから、理由のない荒れ地から、どんなにあがいても償えやしないところから、わたしたちの第一歩をはじめるべきだったのだ。」
「ありがとう、ジェイ」ユンはそう言った。「おまえと友達だったことは、ずっとぼくの誇りだったよ」
ジェイに、十三歳の少年だった頃の「記憶の断片がどっと流れこんでくる。そのあまりの激しさに、わたしはしばし言葉を失う。」
と少年たちの、あるいは、男性たちの同性愛的感情に満ち溢れた本書を読み終え、ノート(考察)しながら、この小説の舞台が、「台湾(台北)」および「アメリカ(デトロイト)」であることの、また、その時代が、一九八四年および一九九六年であることの、空間と時間の狭間で、ふと、台湾人の自己認識のことが、よぎりました。
台湾の、世界に類を見ない長期にわたる戒厳令が解かれたのは、一九八七年のことですから、少年たちが、「子供だからこそ、損得勘定ぬきであたえる側」でいられる時間、つまり、「あのまま何事もなく大人になってたら、......あたえる側からかすめ取る側に変わっちまった」だろう、その終焉間近で、世界は、この国は、「大人にな」ってしまったのではないでしょうか。
そのことの傍証を、
「大人は世界なんか救えないことを知っている。どんなにがんばっても変えられないことがあると知っている。だからこそ、なにかを守るためにどこかからかすめ取るんだ。」
とジェイの口を借りて、本書に読んでしまったのは、穿ったものの見方というものでしょうか。
否。
「おまえの時間は一九八五年で止まっちまった。体は大人になっていくのに、心はいつまでもあのころのまま、あの場所に、あの事件に縛られる。」
と。
心とは、迷える台湾人のそれであり、そうした、彼らの自己認識が、「あのころのまま、あの場所に、あの事件に縛られ」ているというのです。
つまり、失われた時間へのノスタルジアは、帰還すべき場所を始めから持っていないことで、絶望的なまでに個人の記憶に頼らざるを得ないということを、「からだは大人になっていくのに、心は」との比喩のうちに、ジェイは、本書は、語ってもいるのです。
また、本書のなかに、
「モーリス・ダン......鍾黙仁(ジョンモウレン)......モーリス......黙仁ーー何度か声に出してつぶやいてみたものの、亡くなったお兄さんの名をユンが自分の英名に用いた」
というくだりがあって、一九九六年にアメリカにわたったユンとは別に、これも、同年、同地にわたったジェイは、その英名を、ジェイソン・シェンとしていたことも、台湾人の「自己認識」を考えるうえで、示唆的であるといえるでしょう。
この小説の舞台が、「台湾(台北)」および「アメリカ(デトロイト)」であることの、また、その時代が、一九八四年および一九九六年であることの、空間と時間の狭間でよぎった、それは、台湾人の自己認識を説明するうえで、やはり、台湾でなければならないし、一九八四年から十年を閲した一九九四年にようやく歩み始めた同性愛運動と、この国ではじめての直接投票による総統選挙が実施された一九九六年でなければならないのです。
そこから、計六回の総統選挙が行われ、二十年が経過しました。
二〇一六年は、台湾の総統選挙で三度目の政権交代が起こり、蔡英文(ツァイインウェン)が総統になりました。
アメリカでは、ドナルド・トランプが大統領となったその前年でもありました。
その年から文芸誌(別冊文藝春秋 五月号)において連載が始まった本書は、台湾の三十年前から三年前までの情勢を取り込んだ変遷史であり、台湾の、否、少年たちの過渡期を描いた、「圧倒的青春小説」でもあるのです。
東山彰良さんの小説、「僕が殺した人と僕を殺した人」について、このたびは、ノート(考察)してみました。
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*画像は、鄭寛さんより、ご提供いただきました。