点灯

元日に事件があり、二日に事故がありました。

残りの4/365日に、そうした禍(わざわい)が、繰り返し起こらぬようにと、祈念した三が日でもありました。

そんなわけで、松の内最終日のきょうは、例年振り返っている、「三が日」の思い出ではなく、思い致したこと、を、奇しくも、被災地界隈から届けられた、葉書と小包に照らしながら、あの日のことを考えてみようと思います。
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「紙のなかにしかない」死、或は、出来事をこのたびの天譴(てんけん)に照らしたとき、地震とひとくちにいっても、おおきな揺れを感じたくらいで、被災地から遠く離れた場所では、その惨状をメディアのなかにしか見聞できないというのが実情なのだ。極端をいえば被災を免れた者は、そうした天譴(てんけん)を文体でしか体験していないことになるのだろう。

 

とは、あの日(3.11)に持った感慨を、拙論(「心不在(こころここにあらず)」)のうちに記したそれですが、その論に引いた、吉本隆明の、

「人間の思想(幻想)のほんとうの恐ろしさは、戦争を体験しても第三者、書斎に寝ころんでいても第二者であるという思想と現実の事件(素材)との不関性の中に根拠をおいている」

との一文が、元日に起こった「事件」と、メディアの反応のうちに、ふたたび思い返されました。

さらに、拙論には、

 

そうした惨状をメディア(=テクスト)のなかにしか見聞できない、或は、当事者のネガとなって「不関性の中に」身を置かざるを得ないという状況は、天譴(てんけん)によってもたらされた、なかば強制的な措置でもあるのだ。

 

と書かれています。

 

「3.11」として記憶された、当時の「事件」と、このたびの「事件」とは、しかし、人智を超えたところで警告された、致命的な偶然であり、私たちには、どうすることも出来ない事態なのです。

「メディア」といっては、SNSしか持たない、弱者の私は、「当時の「事件」」を教訓に、そうした、情報を一切、スルーすることに決め込み、この「三が日」を、例年通り、個人の幸せのうちに過ごしました。
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しかし、「被災地界隈から届けられた、葉書と小包」によって、「事件」の渦中に呼び戻され、「「3.11」として記憶された」、あの日のことをも考えた、というわけです。

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ひとまず、「事件」とその因果によって起こった「事故」とを、自分なりに、粛清してみました。

それで、「三が日」以降、「松の内」までに、私がしたことといえば、労働以外に、掃除です。

これまた、2011年製のオイルヒ―タは、山ん中で暮らしていた当時、就寝前にスイッチ・オンにし、築70年の木造家屋の洗面所を、居室以上に暖めてくれ、重宝したものでしたが、ほどなく、都心のマンションに移った、その当座は、そうした恩も忘れ、これまで、浴室の洗面台下で、埃の被るに任せてあったものです。

「都心のマンション」といっても、75年竣工のヴィンテージであり、こと、浴室においては、床と壁が、タイル貼りの、いわば、石室です。

11年から、早、ひと回り。

私も歳を重ね、ヒートショックなどとの症例も、気にし始めるお年頃であり、何より、酷暑、極寒との、夏と冬の二季しかない、昨今です。

そんなこんなで、あえて、動作確認をせずに、掃除し始めたオイルヒータは、スイッチ・オンで、無事、点灯。

「生きてた!」

こころに、明かりが灯った、瞬間でもありました。
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