「で、〇〇さんとは、どうなってるんですか?」
とそのひとから、ディナの中盤で訊かれたとき、
「そーいやあ」
と、会っていなかった半年間を振り返り、そのひとにするべく、近況報告があったことを、思い出しました。
ようするに、いまとなっては、取るに足らない、些事なのですが。
話は、春の「文学フリマ」に始まり、夏に兆した光明は、しかし、秋の「〇〇さん」との会い(友人をして「悲劇ふたたび」といわしめられた!)で、もとの木阿彌と、結果、「〇〇さん」の病症を再認識する、どころか、ますます酷くなっているかもしれない、それを知るにいたりましたが、縁なき衆生は度し難し、とは良くいったものです。(そもそも、菩薩であったことなどありませんが w)
それにしても、そのひととは、会えば、オトナらしく、周縁の人間関係について、面白可笑しくおしゃべりし、つまり、互いの核心に触れないことで、穏当に過ぎていく時間と、心地よいと感じる空間でのひとときを、「打ち合わせ」を兼ねた、機会のうちに費やすのが常でした。
などと、これまでに費やした「機会」を、過去のものにするかの口ぶりは、だから、昨夜の「機会」をもって刷新したのかもしれず、あるいは、「「打ち合わせ」を兼ね」ていないそのことに起因しているのかもしれず。
まあ、お店の喧騒につつまれ、「面白可笑しくおしゃべり」しているには違いないのですが、しかし、「互いの核心」に触れつつも、「穏当に過ぎていく時間と、心地よいと感じる空間」は、コースで頼んだお料理の出てくるタイミングと、その味わいの妙がなせるそれであった! とお料理ごと時間と空間をいただいた気がします。
雪予報が出ている週末。
暖かった日中も、日の暮れるに従って、徐々に冷え込んできてはいましたが、風もなく、空気だけが、厳かに高まっていくような、そんな、大寒前夜。
ほんとに、良い夜でした。