「お酒、ワンカップでいい?」
と車上の父に。
「ふなぐちってのがあったでしょ」
との指定がはいり、
「へ、自分で飲みたいくらいよ」
と続けるも、母堂に捧げる供物であり、腐る前に飲みたい! というのが本望です。
だから、墓前に供えたあとで、
「フタしとく?」
「ダメダメ、開けといて」
と父に訊ねたのも、きっと、飲まれたくないがゆえの、足掻きであったのかもしれません。
私に、メメント・モリに対する概念は、ありません。
ということを、父の死者への対応の篤さに感じた瞬間でもありました。
『千の風になって』という歌が流行った頃、その歌詞のいわんとすることがわからなかったくらいには、私も、まだ、若かったのでしょう。
とはいえ、「父の死者への対応の篤さ」は、その頃から変わりません。
祖父は、父の幼い頃に亡くなり、祖母を見送り、叔母を見送り、やがて、そのことが、先祖への信仰となり、生かされてることの感謝となる頃には、私も、「死を想う」ようになるのでしょうか?
墓所を分かつ、築地塀の前を、喪服のひとたちが、通り過ぎて行きました。
駐車したあと、その葬列に出くわした、私の目の前を、恭しく抱えられた、お骨が過ぎて行きました。
瞬間の出来事ではありましたが、知らないひとの一生に、はからずも対峙した瞬間でもありました。
人も 馬も 道ゆきつかれ死にゝけり。旅寝かさなるほどの かそけさ 迢空