「インターネットで発表されたゲイ小説 『北京故事』 (邦題:『北京故事 藍宇』 講談社刊)を映像化した作品。」
とウィキにあります。
小説は、未読ながら、その「藍宇(ランユー)」が、これも、中国での制作となる「覇王別姫」(1992年)、「春光乍洩」(1997年)とともに、4Kリマスター版でかかると知り、高田馬場にある「早稲田松竹」劇場に観に行きました。
ちなみに、「覇王別姫」と「春光乍洩」は、DVDによる茶の間桟敷で、何度も観ています。
「藍宇(ランユー)」の作中、坂本龍一の「Merry Christmas, Mr. Lawrence」が、それを聴いていた青年のことばのうえに流れ、ということは、1983年以降の出来事なのか? と、この映画が制作された2001年を現代(いま)としたとき、その間の時代を18年さかのぼって、物語は始まることになります。
どうりでパラレルワールド!
「舞台は1988年の北京。高級官僚の子息で青年実業家の陳捍東(チェン・ハントン)は、部下で友人の劉征(リウ・ジェン)に金に困っているという学生・藍宇(ランユー)を紹介され、一晩ベッドを共にする。」
とウィキにあります。
ハントンをバイセクシャルと知る部下で友人の、こうした悪ふざけに、まず、ホモソーシャルな欲望を感じましたが、「悪ふざけ」の域を出ないハントンのそれは、ランユーにとって初体験であり、ハントンにいだき始めた恋心は、そののちの再会によって、恋情へとかわっていきました。
しかし、ハントンの、ランユーへの思いは、彼らが知り合い、付き合うようになっても、「悪ふざけ」であったことが、ハントンの浮気(男との)と結婚(女との)、といったゲイの苦悩の種を、その身に播かれた当事者のほうからこれを遠ざけ、ハントンの前から、ランユーは、二度姿を消すのです。
一度目のとき、銃声が鳴り響く深夜の街で、ハントンは、ランユーを探します。
広場でランユーを見かけた、との情報によるものでしたが、折しも、北京にある天安門広場で、民主化を求めて集結していたデモ隊に、ランユーが加わっていたとするそれは、そこに、軍隊が武力を行使し、多数の死傷者を出した、天安門事件を背景に置いています。
1989年のことです。
そうした時代「背景」を、ハントンとランユーが過ごす、時間の隙(ひま)に垣間見るうち、フィルムは、わたしたち、同志の関係を、ふたりのうえに重ねて、その後半を流れていきました。
2015年、アメリカ合衆国では、オバマ大統領により、全州での同性結婚の合法化が進められ、翌、2016年、アメリカ合衆国大統領選挙に向けた動きが本格化しました。
わたしたちが知り合ったのは、2016年のことであり、米大統領選におけるトランプの勝利と、リオデジャネイロオリンピック開催とに湧いたその年、日本では、相模原障害者施設殺傷事件が起こりました。
「殺害人数19人は、当事件が発生した時点で第二次世界大戦(太平洋戦争)後の日本で発生した殺人事件としては最も多く、事件発生当時は、戦後最悪の大量殺人事件として日本社会に衝撃を与えた。」
といった、事件のあらましを、デートの車中にはいった速報のうちに知り、始まったばかりの関係に兆したそれは、かかる時代への暗雲でもありました。
そこから、これまでの年月の間に、
2019年、日本政府が平成に代わる次の元号を「令和」であると発表し、
2019年末より始まった、新型コロナウイルス感染症 (COVID-19) のパンデミック(世界的流行)が2020年、2021年、2022年、2023年
と続き、
2024年、元日の能登地震へと、知り合った当時のわたしたちが、そうした激動の時代を過ごそうとは、ゆめゆめ思いもしませんでしたが、早いもので、八年目を迎えました。
母が亡くなったとき(2017年)、一番近くにいてくれてたひとでもあります。
そうした、わたしたち、同志の関係を、ふたりのうえに重ねて、いつしか、フィルムは、その後半を流れていきました。
ハントンの結婚生活は、3年で破綻を迎えました。
そんな、ある日、ハントンは、空港でランユーと三たび再会します。
出会ったときから、十年の歳月が流れていました。
これも、三たび恋人関係に戻るふたりでしたが、その矢先にハントンの事業に、不正の嫌疑がかけられ、投獄。
ランユーは、かつて、ハントンから贈られた資産(家屋)を処分し、そこから得たお金で、この愛しい恋人を釈放すると、ふたりは、あらためてお互いの愛を確認し合い、再出発します。
最初の再会のとき、ハントンが、ランユーを気づかい、していたマフラーを、かけてあげたシーンで、頬を伝った涙、以来、二回の別れのうちも、伝うことはなかったそれが、ハントンの釈放を祝した、ランユーたち身内と囲む食卓のシーンで、滂沱の涙に。
そして、
「好きで好きでたまらない」
そのことを病気とたとえるランユーと、ハントンの最期の戯れの翌朝、ハントンをベッドに残して仕事に出かけるランユーのカット。
そのフィルム冒頭のカットの続きが流れ、ハントンのケータイが鳴ります。
「……」
声、出ちゃった! どころか、絶句です。
「エグい!」
というそれは、わたしの浅はかな、民族性に対する、蔑視のそれでもあるのでしょうか。
それはともかく、時は、さらに、流れたのです。
建設業者であるランユーの姿を、いまも、工事現場に目を止めて、探すハントンと、疾走する自動車。
(「同窓会」<1993年10月~12月>、日本テレビ系列で放送されたテレビドラマ、それの最終回での風馬と嵐を想起、あるいは、オマージュだったりして 笑)
「小説はあらゆる文芸中、最も非芸術的なるものと心得べし。文芸中の文芸は詩あるのみ。即ち小説は小説中の詩により、文芸の中に列するに過ぎず。従つて歴史乃至伝記と実は少しも異る所なし」(芥川龍之介)
とのエピローグが、疾走する自動車の車窓の風景に、重ねられていたかは、知りません。
どうして、こんな酷(むご)い「詩」を読むことが出来ましょうか。
とにかく、わたしたち、同志の関係が、恋心、恋情を経て、身内といったそれになり、ゆえに、一番近い他人になろうとも、あなたは、いまも生きています!
それだけで、充分なのです。
そんなことどもが、疾走する自動車、あるいは、お互いが過ごした時間の流れに重なったとき、ランユーへの想いを託した「エピローグ」を読むことは、涙で霞んだこの目に、やはり、不可能なのでした。
そうした、故人、あるいは、個人の追想をお構いなく、ゼロ年代初頭の北京には、建設ラッシュの波が、押し寄せていました。
「経済開放で激変する中国の社会背景がさりげなく物語に反映されている点も見どころのひとつ。」
とウィキにあります。
劇場が明るくなる前に、カバンから取り出したマスクを、しっかり、顔に当てました。
とはいえ、劇場で作品をシェアするって、いいですよね。
暗くなって明るくなって、さまざまな、思いがあって。
以上が、『藍宇 〜情熱の嵐〜』(2001年)に持った感想でした。
おしまい。(長いけど 笑)