盗人

近代文学」の小説、なかんずく、文豪が書いたそれを読み始めたのは、国語の教科書に載っていたということもありますが、中学生のときに参加した、読書クラブでの経験によるところが大きいです。

鴎外、漱石、芥川、と読んできて、谷崎、三島と、舵を取り始めた頃には、いわゆる、耽美派と呼ばれる作家たちを、義務教育が終わる頃には、好きな作家と呼べるくらい、読みおおせていたし、とりわけ、鴎外の令嬢たる、森茉莉に傾倒したのも、この頃でした。

そんな、ませた、というか、おくて、な十代が終わり、二十代にはいると、そうした文芸作品を映画化した、ATGのそれを、名画座で観るような、陰鬱な映画青年となり、さらに、かつて、アングラと呼ばれていた寺山修司の映画や、それのエピゴーネンたちによる実験映画を、四谷三丁目にあった、イメージ・フォーラムに観に行ったのも、その頃のことでした。

そうした、「文芸」好きなところは、閑客のつれづれに、寝転び、掲げつ、眺めたスマホの画面にもあらわれ、いたずらに、選んだそれは、やはり、谷崎翁の「細雪」や「鍵」の映画化で、その両方を監督した、市川崑のそれら、アダプテーションの軍配は、圧倒的に「細雪」のほうに上がりました。
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では、「鍵」は? といえば、原作が書かれた1956年から三年ののち、京マチ子を女主人公とする市川崑のそれ、ついで、荒砂ゆき、松尾嘉代、ときて、1997年、池田敏春監督による、『鍵 THE KEY』では、川島なお美演じる女主人公に、より軍配が上がりました。

というより、私にとっては、どの女優より、川島なお美艶姿が、白眉に思えました。

1997年の川島なお美、といえば、この映画の公開直前に、お茶の間を席巻した、不倫ドラマ『失楽園』の放映を終えていて、そんな、加熱のなかにあった、このお色気女優の絶頂は、『鍵 THE KEY』できたし、同時に刊行された、篠山紀信撮影による写真集『鍵』で、ご本人いわく、

「私の全部がうつっている」

らしく、そのすべてを曝け出したのでした。f:id:sumiretaro:20231110101646j:image


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そうした、在りし日の川島なお美の姿を、「ときのひと」との色眼鏡で見ていたフシが、このたびで二回目となる鑑賞の、映画のなかでの圧倒的な、存在感によって払拭され、川島演じる「郁子」を愛でる、良人、宗一郎の眼差しで、その姿を追っていた、私自身の眼差しにも気がつきました。

盗人(ぬすびと)の眼差しは、これを盗もうとする、カメラマン、木村健一のレンズを通さない、生身の肉体に、良人公認のはじめての会いのうちにも、すでに、盗まれていたのですが、映画は、それを明かさず、賢夫人と駄目夫との「日記交換」のうちに筋を運び、宗一郎の命の尽きる日まで続けられたことを、良人の死後、「郁子」の告白のうちに語らせるのでした。f:id:sumiretaro:20231110101819j:image
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連れ子の敏子の眼差しだけが、始めから破綻している、この三角関係を鳥瞰しているのですが、木村に恋する若い娘のそれは、盲目であり、ライバルたる義母への敵対心が、結果、木村と「郁子」の不義のアリバイを、一つ屋根の下に放置した、男と女の正した居ずまいのうちにも、良人、宗一郎の眼差しに露見させ、やがて、宗一郎が、

「気ガ狂ウダロウ。」

と日記に予告したとおり、映画も、いよいよ、破綻へと向かうのです。f:id:sumiretaro:20231110101903j:image
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それにしても、と思い出したのは、セジウィック『男同士の絆』の、

 

 「ライヴァル意識」と「愛」は異なる経験であっても、同程度に強く多くの点で等価というのだ。……人が愛の対象を選ぶ際、まず決め手となるのはその対象の資質ではなく、ライヴァルがその対象をすでに選択しているかどうかである、と。要するに、性愛の三角形では、愛の主体と対象を結びつける絆よりも、ライヴァル同士の絆のほうがずっと強固であり行為と選択を決定する、と

 

こんな一節であり、「小説の伝統において、三角形を構成するのはほぼ例外なく、ひとりの女性をめぐるふたりの男性の競争である」とも、「ヨーロッパのハイ・カルチャー」、かつ「男性中心」の「小説の伝統において」との但書を付して、こう記していますが、この映画の場合、否、谷崎潤一郎の『鍵』については、こうした「男同士の絆」が、「同性愛」と結びつく要素は一切なく、ゆえに、「ひとりの女性をめぐるふたりの男性の競争」は、社会的な立場の格差こそあれ、良人公認で不倫をそそのかす以上、「郁子」の愛人たる木村との間に、「ホモソーシャル」対「ホモセクシュアル」という弁別的対立は、不完全であり、二項対立的でもない、のです。

しかし、「郁子」と「敏子」の間にある「女同士の絆」は、目的・感情・価値を、木村に置いて、連続体を成しています。
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私は、何も、谷崎翁がフェミニズムの作家である、などとの蒙昧、あるいは、愚見を述べたいわけではなく、それのアダプテーションたる、池田敏春監督による、『鍵 THE KEY』のなかで取り出された、川島なお美艶姿が、その絶頂にあることを伝えたいだけなのです。