忘年

先週金曜日のアフターに予定していた、ことしお世話になったひととの忘年会、第一弾は、そのひとの体調不良により延期になり、席予約をいれていた酒舗には、窮余の一策を講じる隙(ひま)もないくらいな、平身低頭。(電話口ながら;)

折りあるごとにうかがい、お店のかたのおひとがらも存じているだけに、その夜は、さすがに、落ち込みました。

翌週金曜日のアフターは、卑近のサイゼリヤには寄らず、これも、「ことしお世話になったひととの忘年会」、第二弾を、翌土曜日に、別の友人の個展に同行してもらった道すがら、高円寺・一番館で開くことにしたのは、その二次会を卑近のサイゼリヤで、と思ったからでした。

ようするに、こちら持ちの予算内で二軒まわれるとの算段ながら、結果、前日、会社の飲み会で、二日酔い気味であったという、その友人とは、一次会でお開きになりましたが、賞味三時間強の酒宴は、気の合う者同士、放言高論のうちに過ぎ、何よりの忘年・年忘(としわすれ)になりました。

さて、「別の友人の個展」というのは、こんげつ25日まで、高円寺・ルキュリオさんで開催中の、久留一郎さんのそれであり、長らくのおつき合いながら、このたびが、久留さんの作品をまとめて拝見する、はじめての機会になりました。

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「例えば、コラージュ作品の雄を、北川健次さんとするとき、性未分化(インターセックス)、あるいは、両性具有(アンドロギュヌス)、といった雌との間性に、久留さんのそれは、位置しているように思えるんだよね」

と同行してもらった友人に、久留さんの作品の感想を話すと、特段、触れるものがなかったということでしたが、これも、そうした「間性」に位置している者の哀しみを書かせれば、比肩する作家のいない、中井英夫の諸作品、とりわけ、その書物への旺盛な興味は、友人も一緒であり、久留さんとも、お互いの「中井英夫」体験を書物を通じて、お話しされていたのには、双方を知る私に、微笑ましく感じられました。

宴も果て、高円寺から水道橋で下車し、地下鉄に乗り継ぐ友人を見送ったとき、

「良いお年を」

といわれたそれに、改めて「忘年」を自覚し、さらに、地下鉄と並行する大通り沿いを歩きながら、アップしていたSNSのポストの内容が、そのタイミングで届いた友人からのLINEの内容と、同期していたのが、嬉しく感じられました。

つまり、「ことしお世話になったひととの忘年会」第一・二弾は、これも、ことし無事に刊行出来た、拙作品集成 II に注力してくださった友人たちとの宴でもあったわけです。(一方とはならずとも、新年会に期待!)

おしまい。

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