「本物なら、こんな値段じゃ買えないでしょ」
「そうですよね」
と、某古書店の出店棚の前で交わされている、老年と中年の会話を小耳に挟みつつ、「本物」との老年の認識に、はて? と思いました。
おそらくは、共箱帯付の完本を「本物」といい、それに対する中年との間では、あるいは、「完本」=「本物」との認識が、まかり通っているのかもしれません。
「九鬼紫郎『若衆七変化』、イチキュッパ! いい値段(高額)だね」
と「共箱帯無」のそれを、棚に戻しつつ、でも、老年のいう「本物」だったら、その相場は、いかほどのもんなんだろう? と漠然と思ったりもしました。
そんな付帯情報を、会場の各出店棚の前で交わされている、老年と中年、はたまた、青年同士の会話のうちにも、小耳に挟みながら、毎週末(金曜・土曜)開催されている、いつもの古書展とは毛色の違う、その名も、「萬書百景市」に参加しました。
ちなみに、「某古書店」というのは、荻窪に店舗を構える「盛林堂書房」さんのことであり、春秋の神田古本祭り、および、こうした「毛色の違う」古書展では、その出店棚の前にひとだかりが出来るほどの、人気店です。
ところで、このたびの買物の一つに、ルイージ・マレルバの『プロタゴニスタ奇想譚』があり、このひとに、『皇帝のバラ』という、古代中国と思しき帝国を舞台にした、幻想掌篇集があって、幻想譚とは相容れない下世話な、でも、そのことが作家の個性になっているかもしれない、私の裁量権では、作品の良し悪しを判断しかねる、それの「裁量」を、このたびの、『プロタゴニスタ奇想譚』を目の当たりに、広げられた気がしました。
「そういうことだったのか!」
と。
ほかにも、松田修の『非在への架橋』から、唐十郎の『少女と右翼』へと飛び火した購買欲は、棚・台下の木箱に背差しではいっていた、詩誌『詩世紀』主宰、服部嘉香(よしか)の処女詩集『幻影の花びら』を手に取らせるまでに、エキサイトさせてくれもした、このたびの「市」であり、「祭(フェス)」でした。
ゆえに、「毎週末(金曜・土曜)開催されている」古書展とは、客層も違い、それの常連客にとっては、自身のなかの「萬書」あたわざるものが、あったかもしれません。
以下、購入品です。
そして、新しい古書展を、私なりに堪能しました。