期日

ものにはタイミングというものがあります。

例年、仕事を収めたあとでいう、

「良いお年をお迎えください」

という定型文言も、ことしは、各先方とのタイミングを逸したものの、仕事を収めて三日も経てば、そうした形式的なことが、自らに課せたルールでしかなく、御用納めの「定型文言」ながら、違和を感じていたことに、いまさらながら、気づきました。(タイムラグとは)


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しきたりといえば、正月飾りの準備も、それをそなえる日取りに、苦飾り(29日)や一夜飾り(31日)を避けるとか、これまた、親にすり込まれたルールでしかなく、古来、先人たちは、こうした、語呂合わせでしかない、「しきたり」に、年末年始の数日を準備にかこつけ、縛られ続けてきたのだな、とこれまた、いまさらながら、思いました。


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こんな「語呂合わせ」は、おせちのお重のなかにもはびこり、正月箸も三が日は捨てずに、その豪奢を休暇の間中、お屠蘇をいただきながら、楽しんでいたりもします。

つまり、年頭に味わった密かな愉しみを、明日も味わえるのか、とワクワクしながら、注文した「おせち」の到着を待っている、ことし最後の一日へと、「しきたり」という名のルーティンは、それゆえ、円環しているのです。


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すでに、出来る範囲のなかで、新年を迎える準備は、整っています。

そうやって、終わり、始まる、例年。

ことしも、「公」の合間に「私」をやり、拙「作品集成 II」を出せたことは、三か月続いた酷暑の一週間を、発熱を押してまで、それの準備(編集)に当てたことへの成果であったと、むしろ、そうした、「酷暑」や「発熱」を尊べるくらいには、いま、静かな年の瀬を迎えています。

終わり良ければすべてよし、との所以です。笑


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らいねんは、といって、明日からは、元旦の計を、筆に求め、現行の新作執筆(「新版 倭をぐな」第三部、「たづがね」)に、その三が日を費やす所存。

結局、一年という期日に縛られ、そうした、ルーティンのなかで、明日からも、さらに、再来年の明日からも、自由でありたく、その幅を広げていきたいと思う私の、これが、未来への豊富です。


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皆さまも、どうぞ、良いお年をお迎えください。

 

 

忘年

先週金曜日のアフターに予定していた、ことしお世話になったひととの忘年会、第一弾は、そのひとの体調不良により延期になり、席予約をいれていた酒舗には、窮余の一策を講じる隙(ひま)もないくらいな、平身低頭。(電話口ながら;)

折りあるごとにうかがい、お店のかたのおひとがらも存じているだけに、その夜は、さすがに、落ち込みました。

翌週金曜日のアフターは、卑近のサイゼリヤには寄らず、これも、「ことしお世話になったひととの忘年会」、第二弾を、翌土曜日に、別の友人の個展に同行してもらった道すがら、高円寺・一番館で開くことにしたのは、その二次会を卑近のサイゼリヤで、と思ったからでした。

ようするに、こちら持ちの予算内で二軒まわれるとの算段ながら、結果、前日、会社の飲み会で、二日酔い気味であったという、その友人とは、一次会でお開きになりましたが、賞味三時間強の酒宴は、気の合う者同士、放言高論のうちに過ぎ、何よりの忘年・年忘(としわすれ)になりました。

さて、「別の友人の個展」というのは、こんげつ25日まで、高円寺・ルキュリオさんで開催中の、久留一郎さんのそれであり、長らくのおつき合いながら、このたびが、久留さんの作品をまとめて拝見する、はじめての機会になりました。

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「例えば、コラージュ作品の雄を、北川健次さんとするとき、性未分化(インターセックス)、あるいは、両性具有(アンドロギュヌス)、といった雌との間性に、久留さんのそれは、位置しているように思えるんだよね」

と同行してもらった友人に、久留さんの作品の感想を話すと、特段、触れるものがなかったということでしたが、これも、そうした「間性」に位置している者の哀しみを書かせれば、比肩する作家のいない、中井英夫の諸作品、とりわけ、その書物への旺盛な興味は、友人も一緒であり、久留さんとも、お互いの「中井英夫」体験を書物を通じて、お話しされていたのには、双方を知る私に、微笑ましく感じられました。

宴も果て、高円寺から水道橋で下車し、地下鉄に乗り継ぐ友人を見送ったとき、

「良いお年を」

といわれたそれに、改めて「忘年」を自覚し、さらに、地下鉄と並行する大通り沿いを歩きながら、アップしていたSNSのポストの内容が、そのタイミングで届いた友人からのLINEの内容と、同期していたのが、嬉しく感じられました。

つまり、「ことしお世話になったひととの忘年会」第一・二弾は、これも、ことし無事に刊行出来た、拙作品集成 II に注力してくださった友人たちとの宴でもあったわけです。(一方とはならずとも、新年会に期待!)

おしまい。

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擱筆

先の記事のタイトルを、「起筆」としたからには、「擱筆」とタイトルした記事も書かねばなりません。

当然、「起筆」から「擱筆」にいたる期間(10/9~12/2)もありますから、その詳細を記せば、

『とりふね』 新版 倭をぐな 第一部

『倭をぐな』 新版 倭をぐな 第二部

となり、前者は、新作、後者は、旧作、の全面改稿となります。

ところで、「とりふね」というのは、折口信夫釈迢空(以降、折口と記す)が創立した詩社のことで、正しくは、「鳥船(舩)」です。

他方、「倭をぐな」というのは、折口の没後に編まれた歌集の名で、大きく二部に分かれたこの最後の歌集は、前半が「倭をぐな」、後半が「倭をぐな 以後」とされて、それぞれ、折口の生前・没後は門弟によって編まれました。

拙作『とりふね』は、詩社の始まりから終わりまで、「鳥船」にかかわった、五名の門弟の名を章立とし、各人が持つ、「先生」とのエピソードを、詳細な資料に基づき、曲解することなく、書いた評伝/物語です。

他方、拙作『倭をぐな』は、そのかみの「倭健命」になぞられた、折口の二人の高弟、すなわち、藤井春洋と加藤守雄が持つ、「先生」とのエピソードを、詳細な資料に基づき、書いた評伝/物語です、が最終パートを曲解し、願わくば、そうした、「先生」との醜聞を持つ、守雄には、

 

「わあっ」という人声がおこった。

……換声に、よびかえされた所を見ると、私は崖からとび下りる気だったろうか。

 

がごとく消えてもらいたかった。

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というのが、擱筆したあと、24時間のうちに、ふつふつと起こった、感慨ですが、もし、咄嗟の行動のままに、守雄が身投げをしていたなら、「「先生」との醜聞」の逐一を書いた、『わが師 折口信夫』を読むことは、当然出来ず、そうした、師弟間のうちにあった、セクシャルハラスメントが、表沙汰になることもなかったわけです。


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ところで、社会学者、石田仁さん作成の、「戦後男性同性愛関連書誌・略年譜」を見ると、加藤守雄『わが師 折口信夫』が刊行された、1967(昭和42)年には、「薔薇」「第二書房の性書群」と、公刊誌たる「薔薇族」「さぶ」の創刊まで、三年から六年までを待たねばならず、先の「薔薇」にしたところで、会員制の頒布誌だった、ということがわかります。

つまり、何がいいたいかというと、そうした、男性同性愛がタブーとされていた世のなか(先生と守雄のエピソードは、昭和18・19年のこと)で、

 

「同性愛を変態だと世間では言うけれど、そんなことはない。男女の間の愛情よりも、純粋だと思う。変態と考えるのは、常識論にすぎない」

 

と「きっぱりした語調」で語る「先生」からのそれに、

 

私は苦痛に近いものを感じた。先生が、こんなにはっきり、自分の正しさを主張された以上、積極的な行動に出られるに違いない。先生の強烈な自我は、障害となる常識的な反省や規律を、怒濤のように押しつぶすだろう。

 

と、かつて、目にした、「先生」の言論に対する、公衆の面前での、無茶に見える、反撃や憤怒を、「不当にいためつけられた自我を回復する為の戦いなのだ」、と解した守雄にとって、「自分の正しさを主張」する「先生」から、よし、「積極的な行動に出られ」たことを思うと、「生理的な恐れが」守雄を「総毛立た」せ、そうした、守雄に、同性愛的感情が理解出来ない以上、逃げ出すよりすべがなかったのでしょう。

「先生」という名の権利の正当性から、あるいは、そこから出奔することで、守雄は正しくその権利を勝ち得た、と思いたかったのでしょうから。

折口の「正しさを主張」する行為と、守雄の「生理的な恐れが」、「師弟間のうちにあった、セクシュアルハラスメント」をのみ、当時の世のなかに伝えたとしても、師匠の名誉を傷つけた弟子、あるいは、師匠の醜聞が表沙汰になっただけで、双方に害こそあれ、得られる利のないことは、自明の理でしょう。

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ゆえに、私なぞは、そうした、師弟の勇気のうちに書かれた、本書を、読むべく時代に読んだ、奇書としたいのです。

願わくば、守雄には、咄嗟の行動のままに、身投げしていただき、消えた守雄と、「「先生」との醜聞」の逐一を書いた、『わが師 折口信夫』を読むことの出来ない世界線での物語として、拙作「『 倭をぐな』新版 倭をぐな 第三部」のうちに書き継ぎたいと、目論んでいたりもします。笑

逍遥

渋谷や原宿の喧騒を逃れて、青山や麻布、はたまた、代官山辺りで遊んでいた、青壮年時代。

いわゆる、高級な街で遊ぶ感覚は、そうした、スノッブを気取る若者にありがちな、虚栄心を満たすものでしたが、いま、そうした「街」を、所用や付合で訪れてみると、我ながら、その地理感覚を頼もしく思うとともに、若者らくし背伸びしていた往時を、好もしくも思います。

二十歳のときに参加していた、詩誌『Oracle』には、詩人田中宏輔さんや、歌人林和清さんなどが寄稿されていて、そうした、往時の先鋭たちのなか、末席を汚しつつも、終刊まで寄稿し続けられたことは、「高級な街で遊ぶ感覚」と同様、いつしか、肉付きの仮面となり、はたまた、「所用や付合」で披歴する、自身の成果ともなっているので、時のあだな所以というものを、こうした、機会に思わざるを得ません。

歌人笹原玉子さんとの付合も、「二十歳のときに参加していた」誌上でのそれが、公私におよび、いまや、リタイヤされた彼女の茶飲み友達くらいにはなっているかも、との自負こそあれ、やはり、才能に対する畏敬の念は、そうした、年月が温めてきた旧交のうちにも、顔を覗かせるものです。

そんな、笹原さんとは、はじめてとなる代官山逍遥も、私にとっては、四半世紀振りのことであり、東横線副都心線と直結し、駅構内も、さぞや変わってしまったのだろうな、とのそれも、杞憂に終わりました。

もともとが、繁華を逃れた住宅街であり、ゆえに、小さな駅舎を、どう拡張・拡大しようというのか? それこそが、愚問であり、その解答は、「代官山アドレス」に連なる、瀟洒なショッピングモールと、これも、同潤会アパート跡地に、ブックセンターが出来たくらいな、変わりのなさでした。
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待ち合わせたのは、遅めのランチ時。

笹原さんが向かうのに任せ、ついて行った蕎麦屋は、定休日でしたが、私にとっては、思い出のある、「サンローゼ代官山」にのちにはいった、「代官山 美味 飲茶酒樓」でランチをとると、カフェは、これも、思い出のある、「HILSIDE CAFE」で、冬日の夕方までを過ごしました。

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「HILSIDE CAFE」がはいっているヒルサイドテラスは、これも、四半世紀前になりましょうか、コシミハルさんのコンサートを聴きに訪れたことがあり、私の代官山イメージは、そこに集約されているといっていいくらい、遠くも近くもある、かの地、なのでした。

また、その周縁を見れば、「マチルドインザギャレット」(現、田園調布で営業)も、このたびが、お初の「オフィシーヌ・ユニヴェルセル・ビュリー」も、「代官山イメージ」に連なる、私にとっての聖地なのです。(それぞれが修道院モチーフになる雑貨小物や美容小物の取扱店)

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そんなこんなで、「冬日」とはいいがたい、それゆえ、軽装の若者たちであふれた、代官山の喧騒を逃れるように、先週の日曜日は、私にとっての古(いにしえ)の場所を訪ねてみました。

おしまい。

盗人

近代文学」の小説、なかんずく、文豪が書いたそれを読み始めたのは、国語の教科書に載っていたということもありますが、中学生のときに参加した、読書クラブでの経験によるところが大きいです。

鴎外、漱石、芥川、と読んできて、谷崎、三島と、舵を取り始めた頃には、いわゆる、耽美派と呼ばれる作家たちを、義務教育が終わる頃には、好きな作家と呼べるくらい、読みおおせていたし、とりわけ、鴎外の令嬢たる、森茉莉に傾倒したのも、この頃でした。

そんな、ませた、というか、おくて、な十代が終わり、二十代にはいると、そうした文芸作品を映画化した、ATGのそれを、名画座で観るような、陰鬱な映画青年となり、さらに、かつて、アングラと呼ばれていた寺山修司の映画や、それのエピゴーネンたちによる実験映画を、四谷三丁目にあった、イメージ・フォーラムに観に行ったのも、その頃のことでした。

そうした、「文芸」好きなところは、閑客のつれづれに、寝転び、掲げつ、眺めたスマホの画面にもあらわれ、いたずらに、選んだそれは、やはり、谷崎翁の「細雪」や「鍵」の映画化で、その両方を監督した、市川崑のそれら、アダプテーションの軍配は、圧倒的に「細雪」のほうに上がりました。
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では、「鍵」は? といえば、原作が書かれた1956年から三年ののち、京マチ子を女主人公とする市川崑のそれ、ついで、荒砂ゆき、松尾嘉代、ときて、1997年、池田敏春監督による、『鍵 THE KEY』では、川島なお美演じる女主人公に、より軍配が上がりました。

というより、私にとっては、どの女優より、川島なお美艶姿が、白眉に思えました。

1997年の川島なお美、といえば、この映画の公開直前に、お茶の間を席巻した、不倫ドラマ『失楽園』の放映を終えていて、そんな、加熱のなかにあった、このお色気女優の絶頂は、『鍵 THE KEY』できたし、同時に刊行された、篠山紀信撮影による写真集『鍵』で、ご本人いわく、

「私の全部がうつっている」

らしく、そのすべてを曝け出したのでした。f:id:sumiretaro:20231110101646j:image


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そうした、在りし日の川島なお美の姿を、「ときのひと」との色眼鏡で見ていたフシが、このたびで二回目となる鑑賞の、映画のなかでの圧倒的な、存在感によって払拭され、川島演じる「郁子」を愛でる、良人、宗一郎の眼差しで、その姿を追っていた、私自身の眼差しにも気がつきました。

盗人(ぬすびと)の眼差しは、これを盗もうとする、カメラマン、木村健一のレンズを通さない、生身の肉体に、良人公認のはじめての会いのうちにも、すでに、盗まれていたのですが、映画は、それを明かさず、賢夫人と駄目夫との「日記交換」のうちに筋を運び、宗一郎の命の尽きる日まで続けられたことを、良人の死後、「郁子」の告白のうちに語らせるのでした。f:id:sumiretaro:20231110101819j:image
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連れ子の敏子の眼差しだけが、始めから破綻している、この三角関係を鳥瞰しているのですが、木村に恋する若い娘のそれは、盲目であり、ライバルたる義母への敵対心が、結果、木村と「郁子」の不義のアリバイを、一つ屋根の下に放置した、男と女の正した居ずまいのうちにも、良人、宗一郎の眼差しに露見させ、やがて、宗一郎が、

「気ガ狂ウダロウ。」

と日記に予告したとおり、映画も、いよいよ、破綻へと向かうのです。f:id:sumiretaro:20231110101903j:image
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それにしても、と思い出したのは、セジウィック『男同士の絆』の、

 

 「ライヴァル意識」と「愛」は異なる経験であっても、同程度に強く多くの点で等価というのだ。……人が愛の対象を選ぶ際、まず決め手となるのはその対象の資質ではなく、ライヴァルがその対象をすでに選択しているかどうかである、と。要するに、性愛の三角形では、愛の主体と対象を結びつける絆よりも、ライヴァル同士の絆のほうがずっと強固であり行為と選択を決定する、と

 

こんな一節であり、「小説の伝統において、三角形を構成するのはほぼ例外なく、ひとりの女性をめぐるふたりの男性の競争である」とも、「ヨーロッパのハイ・カルチャー」、かつ「男性中心」の「小説の伝統において」との但書を付して、こう記していますが、この映画の場合、否、谷崎潤一郎の『鍵』については、こうした「男同士の絆」が、「同性愛」と結びつく要素は一切なく、ゆえに、「ひとりの女性をめぐるふたりの男性の競争」は、社会的な立場の格差こそあれ、良人公認で不倫をそそのかす以上、「郁子」の愛人たる木村との間に、「ホモソーシャル」対「ホモセクシュアル」という弁別的対立は、不完全であり、二項対立的でもない、のです。

しかし、「郁子」と「敏子」の間にある「女同士の絆」は、目的・感情・価値を、木村に置いて、連続体を成しています。
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私は、何も、谷崎翁がフェミニズムの作家である、などとの蒙昧、あるいは、愚見を述べたいわけではなく、それのアダプテーションたる、池田敏春監督による、『鍵 THE KEY』のなかで取り出された、川島なお美艶姿が、その絶頂にあることを伝えたいだけなのです。

一隅

「必ず、一つ、忘れ物するんだよね」

と、お手伝いにはいっていただいたKくんに、「文フリジンクス」ともいうべく、私のそれを、縷々、語りつつ、

「ちょっと、キップ買ってくるね」

と、「文学フリマ東京」の会場となった、東京流通センターからの帰途、都合、二回、Kくんの足を止めさせてしまいました。

つまり、パスケースを忘れたというわけです。


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前回から、「第二展示場」(第一展示場より拡張)での出店が続き、出店者の入場まで、建物脇に列んで待つのですが、そのことを見込んで、入場時間の15分前に到着するも、入場とともに列が動き出す頃には、蛇行しつつ三列にもなり、過去最多の出店者数とのそれにも、頷けました。

ブース位置は、出入口から壁際を伝った、一番始めにあり、ありていにいって、隅っこ。

テーブルの配置上、ひとの流れから外れることにはなりますが、「隅っこ」というだけあって、そのデッドスペースは、使い放題であり、ものは考えようです。

隣は、お初のサークル、二軒隣は、前回左隣でした、「『1999年の夏休み』研究所」さんで、荷物を置いてご挨拶に行くと、

「スミレさんとの会話をヒントに文章書かせていただきました」

といって、冊子を謹呈いただきましたが、何より、「スミレさん」と呼ばわれることのほうが新鮮で、私を知る文フリ関係者には、そう呼んでもらおうと、思ったものでした。f:id:sumiretaro:20231112125657j:image

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その最大のチャームポイントともいうべきソックスガーターについて、あれは「タルホ的か?」とおっしゃるのです。今道子さんの写真を示し「体育すわりをすれば二等辺三角形が足の下にすっぽり収まるような少年」こそがタルホ的少年であり、しかしてことさら少女であることを強調するかのごとくフトモモに食い込んだガータベルト(ソックスガーターか)は、少年性を台無しにしてはいないだろうか。『1999年の夏休み』という優れた作品の唯一かつ最大の問題ではないだろうか、とおっしゃるのです。

 

何の気なしにした会話が、文章になり、冊子になる、その「会話」がネット上のものであれば、質量をともなうこともなく、やがて、星屑になり、消滅するでしょう。

つまり、それが、「文学フリマ」という媒体の面目躍如なのです。

そうした、「質量」をキャリーバッグとリュックサックとに分散した荷を降ろすと、開場時間までの小一時間は、設営であっという間に過ぎていきましたが、その間にも、前回右隣でした「メガネ文庫」さんと、友人の「久留一朗デザイン室」さんが、ご挨拶に訪れ、メガネさんとは互いが持参を物々交換し、クトメさんには展覧会のDMをいただき、それぞれに著名した拙著を差し上げました。

そうした、「著名本」を、事前来意の有無を確かめた上で数冊ご用意し、開場時間の正午から三時くらいまでの間に、お立ち寄りいただいた、すべての方々に無事、手渡すことが出来、かつ物々交換出来ました。f:id:sumiretaro:20231112133444j:image

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『Pocoapoco』(画像)というのは、「ジェンダーセクシュアリティに関連したテーマについて」の講義録であり、そうした活動を運営されているその方には、以前、拙誌『薔薇窗』を通販にてお買い上げいただいたことがあり、このたびは、遠路はるばるお越しになったということですが、お買い上げいただいた、通巻26号の記事の後日談ともいうべくお話を伺い、こうした探究心こそが、地場となるべく集結するのも、「文学フリマ」という媒体の面目躍如、なのだな、とあらためて思ったものです。

以下は、友人の「久留一郎デザイン室」ブースで購入したものです。

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20代の頃からの友人であり、その頃から一貫したスタイルには、脱帽を通り越して、もはや、脱毛です。

互いの毛がなくなるまで、その付き合いは、続くことでしょう。(都合、三回、絶好・仲直を繰り返している、腐れ縁 w)

それにしても、と前々回より、「ファンタジー」カテゴリから、「ボーイズラブ」カテゴリにて出店するようになり、そうした、ブースで会話した、BL作家志望の女性とのそれが思い出されます。

「艶が欲しいんです」

と、拙著(作品集成)を示して訊ねる女性のそれには応えず、

「私、BLってわからないんです。自分では、耽美を書いてるつもりなんで」

と女性に返すと、

「耽美ですか?」

「BLの前身というか、私が知っているボーイズラブは、こちらの須永朝彦先生とか(ディスプレイ用の文庫を示し)、近く中島梓(真夜中の天使)、遠く森茉莉(恋人たちの森)、あたりですかね」

とポカンとしている女性に、

「ところで、昨今のBL事情は、どうですか?」

と問う私のそれに、女性答えていわく、

「いまのご時世だったら、格差ですかね。恵まれているものとそうでないもののカップリングとか、お金でも、お顔でも。ただ、それは、型に過ぎないですし、私が書きたいのは、そうした男性同士の心理描写なんですよね。あとは、時代、つまり、奥行ですね」

そこで、拙著の何をおススメしたら良いものやら、と。

とはいいじょう、それぞれの特色を伝え、とりわけ、「作品集成 I」所収の「獣園」のダンになったとき、私ってば、あらすじ・おすすめ、するの下手っぴ選手権大会じゃん! となるも、

「お金持ちなら全部買いたいところなんですが」

という女性にお買い上げいただいたのは、「獣園」所収の「作品集成 I」であり、次回「作品集成 II」を買いに来てくださるかの、ドキドキ・ワクワクがあるのも、「文学フリマ」という媒体の面目躍如、なのだな、とつくづく思ったものでした。

また、青年以上の男性たちが、脇目も振らずに、「作品集成 II」を手に取り、買っていかれたのにも、不思議な興味を覚えました。(こはい 笑)

「興味」といえば、通販でのご常連であり、直販でもお買い上げいただいている、男性のお客さまが、毎回ご一緒されている、青年が気になり過ぎる! という不躾な「興味」があります。

それにしても、「隅っこ」で展開された、このたびの「文学フリマ東京」、そのデッドスペースともいえる場所で、短時間ながら何人もの方々と、有意義な時間を持つことが出来ました。

ご来場、お立寄、に感謝です。
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会合

神田古本まつり」、通称、「青展」最終日の夕刻。

同僚と待ち合わせた駅へと向かう道すがら、露店に灯るランタンの情緒を楽しみました。

初日から三日以後は、18時で店じまいと聞き、そうした「情緒」も含めて、このたびの「青展」最終日を見送りたかった、というわけです。

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八丁堀・KIKUOさんでのディナは、17時30分からで、待ち合わせた改札口に、時間どおりに到着した同僚とは、春先の高尾山でのハイキング以来。

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思えば、20・21・22年のコロナ禍中、隔月で飲み歩いていたのは、今は昔、とばかりに、パリッとキメた同僚と半年以上振りの久闊を叙したあとは、興に任せてのおしゃべりとなり、そうした、会いの久しさをも、並んで座った電車シートで、触れ合わざるを得ない互いの肩に感じつつ、その日のさよならとなりました。

翌日正午に、先方の最寄り駅の改札口で、

「はい、ケータリング」

と同じ沿線に住むKくんに、地元駅に向かう途上でデリバリした、それらをいれた手提げバッグを預けると、ほどなく到着した新居への来訪は、つまり、Kくんの引越祝いと、ご協力いただいた、拙「作品集成 II 夢芝居」の上梓祝いを兼ねた、W祝いというわけです。f:id:sumiretaro:20231105153211j:image

あたかも、文化の日の連休であり、先の「青展」このかた、連日の晴天・高温続きで、そうした、秋日和を満喫しているさなか、これも、会期中の「甲秀樹 作家25周年 記念展」へ、Kくんと赴きます。

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その前に立ち寄ったKくんの新居に、シャンパンを預け、冷やしたそれを、帰っていただこう、との算段。

そんなわけで、これまた、拙「作品集成 II 夢芝居」にご協力いただいた甲秀樹さんと、事務局のUさん、それぞれに、著名本を謹呈すると、地下鉄二本で、ふたたび、Kくんの新居へ。

移動の間にも、

「あとで、酒の肴に話すね」

と貯めに貯めた「話」を肴に、私の趣味にも適った、モダンなソファセットでの祝宴は、二本のボトルが空になったのをシオにお開きとなりましたが、その間にもKくんから見せていただいた、美麗な蔵書の数々に、あるいは、そうした、厳選したものに囲まれて暮らす、この友人のアーバンな居住まいこそが、私の晩年のあるべき姿のロールモデルであると、まだまだ、書かねばならない、ゆえに、終わらない蔵書の整理に、ただただ、羨ましく思われるのでした。

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おしまい。